地域包括ケア 意見交換会2014/8/2 の記録
開会挨拶「地域包括ケアとは何か」
野田 浩夫氏(全日本民医連副会長・医療部副部長/山口・健文会理事長)
今日の意見交換会を、地域包括ケアを民医連が自分の課題として捉え、21世紀の民医連の活動全体のなかにどう位置付けていくかという議論の本格的な出発点としていきたいと思っています。
民医連の活動は、「医療・介護などの事業」、「社会保障改善などの運動」、「後継者の養成」という3つの分野に大きく分けることができると思いますが、実際にはそれぞれが密接に関連しています。たとえば介護事業について論じることが、ただちに介護ウェーブという運動の問題と、介護を理解して連携できる医師養成の問題につながっていきます。とくに地域包括ケアは、社保運動と医師・職員養成上でも、21世紀の民医連を語る上での中核になるべきテーマです。
今日は、何か結論や方針が出るということを期待しているわけではなく、ざっくばらんに全国の皆さんがどういうことを考えているかということを並べてみたいという思いがあります。以下、準備したプレゼンテーションの順に箇条書きで私の思っていることを述べたいと思います。
1:私は地域包括ケアには違う物を同じ名前で呼んでいる、相反する二つの潮流がある、と考えています。
2:政府側の立場で地域包括ケア政策の中心になっているのは田中 滋慶応大名誉教授ですが、「地域包括ケアはケア付きコミュニティのこと」というのが彼の結論のようです。これはケアをコミュニティの本質、目的と捉えず、付属物とするもので、「温泉付き別荘地」と変わらない発想だと思います。「あなたの財布に合わせてケアが自由に調達できる」地域をめざすのだということです。
3:政府側の地域包括ケアの、「地域」とは、住民のボランティアへの動員のことだと私は考えて来ましたが、よく見てみると、政府はそれも本気ではなく、コンビニ、宅配、スーパーマーケットなどを市民の互助の代わりに使おうと思っているようです。すなわち地域生活の隅々までの市場化、営利化のことです。また「包括」とは、各事業の連携強化のことでなく、資本の経営統合のことで、例えば地域包括ステーションという形などで、そのお膳立てをしたのち、資本に全部を提供することを言います。そういう意味で政府の地域包括ケアは新自由主義政策そのものだと言えます。
4:その経営統合は地域包括ケアのみならず、急性期医療も組み込んだ、医療介護全体の持ち株会社「ホールディング型カンパニー」という形態を取ろうとしています。そのいい例が、岡山大学が全国の先頭に立ってやろうと思っている「岡山大学メディカルセンター構想」です。こういうものを、人口100万人につき1個、全国に100個作ろうと思っているのです。
6:地域包括ケアの模式図も次第に変化しています。スタート時の2006年は、各要素が対等の花びら型として描かれましたが、2013年には土台を自助・自己責任の「心構え」と自前で準備する住宅においた植木鉢としてえがかれるにいたりました。自助と互助は強固に土台とし、公助・共助はいつでも枯れて良いという思惑がにじみ出ています。
7:自助の基本である「心構え」を具体的に言うと、死後3日以内の発見を自然な孤独死として受け入れろというものでした。
8:これに対して、私たちのめざすのは全く違う地域包括ケアです。歴史的に必然だ、という意味で歴史的地域包括ケアと仮に名付けておきたいと思います。
9:それは、障害のある人とその人をケアする人、彼らを中心して互いの支援が同心円状に出来上がる社会構成を正義の基本とするいわば「ケアの正義」をめざすものです。
10:それは、福祉のあり方を、低負担低福祉か、高負担高福祉かという単純な2次元の現象でなく、「ケアの正義」という視点で判定するという、3次元で考える枠組みを提案するものだともいえます。
11:「ケア付きコミュニティ」でなく、ケアを本質的な目的としたコミュニティを資本や国家と対峙しながら作って行こうというのが、私たちの主張です。
12自助・互助・共助・公助の考え方ですが、互助こそが人間社会の本来の姿であるのに対し、自助は新自由主義が作り出す虚構です。そして公助は互助から発展して国に要求して勝ち取るもの、共助はその過程にあるものだという見方を私はとっています。
13:そこで、今の民医連にとって課題となるものは以下の2点になろうかと思います。
①:民医連の事業所が、民医連としてめざす地域包括ケアの連携の中で、他の経営体や事業所と協力してどういう位置を占め、どう創造性を発揮できるか
②:地域住民を主人公として地域包括ケアの中にどう登場させることができるか。
これを進めるときは、やはり先行する全国の民医連内外の優れた経験から学ぶことが大切です。ここでは三つの例を提示しておきます。
A:宮崎の「母さんの家」という、小規模な民間ホスピスのグループです。宮崎県にホスピスがないので作ってほしいという運動を、退職看護師さんが拾い上げて、こういう形で、民家を利用した小規模な有料老人ホームをホスピスとしてあちこちに作り、「宮崎県をホスピスにしよう」という運動として展開したものです。私たちは、これに習って、私たちの住む街全体をグループホームにしよう、徘徊しても何の心配もない街を作ろうという運動にできると思います。
B:もう一つは秋山正子さんという訪問看護師が始めた「暮らしの保健室」です。住民が高齢化した大規模団地の空き店舗を利用したもので、末期状態になって訪問看護が始まる以前の住民の不安に積極的にこたえようというものです。
C:新潟県の大型施設が、小さな施設に分かれて地域の中に溶け込んで、住民の生活に密着して行ったという例も大いに参考になります。
詳しくは、山田先生の問題提起を聞かせていただくとして、熱心なご討論をお願いして、冒頭のご挨拶といたします。よろしくお願いいたします。
◆まとめ
●野田浩夫氏(全日本民医連副会長・医療部副部長/山口・健文会 理事長)
豊富な議論が行われましたので、この時点でのまとめはどうしても不完全なものにしかなりません。御容赦願いたいと思います。
医療経営専門雑誌「フェイズ・スリー」の8月号に面白い記事が載っています。
介護保険創立の立役者だった厚生官僚 中村秀一氏が登場して、消費税3%値上げ分8.4兆円のうちわずか904億円 で基金を作り、厚生労働省医政局が同省保険局を抑え込んで政策誘導のため使うようになったことを、日本の医療政策のパラダイムシフトだとしゃべり散らしています。それにしては額がみみっちいのですが、それでも全国の医療経営コンサル諸君は補助金の取り方を教えると言って目の色が変わっているそうです。私が注目するのは、その額や厚生労働省内の部局の勢力争いではなく、政策誘導の対象が①7:1の病床削減 を中心とする病棟再編、②在宅医療と介護サービスの充実、③医師対策の3点に絞られたことで、これが彼らの仕掛けてくる領域だということです。今日の会議は、政府側のこの仕掛けにも真っ向から立ち向かうものとなったと思います。
在宅看取りの問題でデス・カンファレンスが話題になりました。私はつねづね20世紀の病院医療の最大の職員 援助リソースは医療安全委員会で、21世紀の地域包括ケアの最大の職員援助リソースは医療倫理委員会だろうと思っています。デスカンファレンスなどを中心に、しっかり人権のアンテナを磨いていくということが今後重要だろうと思っています。そのなかでは従来の四分割表の中に患者中心の医療PCMの概念を融合させていくことが一つの課題になってくるだろうと予想しています。
訪問看護師の問題は、課題の多いテーマです。政府側の地域包括ケア研究会の堀田聡子氏はオランダの経験を宣伝していますが、オランダの開業在宅看護師は、日本の往診をしている医師ができることは全部できると言いきっています。それが根拠とされて特定看護師制度が出てきました。しかし、京都から報告があったように訪問看護ステーションの中でセラピストが多いところは、ほとんどが営利法人の経営になっています。日本で訪問看護師の独立開業して医師に代わるというとき、それが営利化の手段に他ならないという点はぜひ見ておく必要があろうと思います。
認知症の問題が出てきました。石田さんが「ご近所関係が緊密で徘徊が問題行動にならない下町らしい地域が消えてしまった」と報告されましたが、徘徊を問題行動としないような地域を我々は改めて作っていかなければならない。そのまえに認知症のことをもっと知る必要があるだろうと思います。介護保険の利用状況からみて300万人といわれた認知症患者の数が、役所が実際に調査してみると462万人だったのです。そういった意味では、かっての民医連が、ひとり暮らしの老人の調査を行い老人医療の無料化を勝ち取り、寝たきり老人の調査を行い訪問看護ステーションを作ったように、やはり、民医連で認知症患者とその人たちをケアする人の実態調査を行わないと画期的方針が出てこないのではないかと考えながら聞いていました。
共同組織の問題については、1980年に国際協同組合同盟ICAの総会でレイドローさんが報告した「西暦2000年の協同組合」における主張が、いま決定的に重要になっています。すべての協同組合的な組織が自分たちの利益だけを考えないで、地域全体に貢献するという立場に立たない限り、人類に未来はないということです。この地域包括ケア問題も最終的には共同組織の姿勢如何で決まる問題だということを申し上げて、私のまとめと致します。
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