互助の事業化としての、「認知症に優しいまちづくり」のスローガンについて
町おこしは地場産業の創造だとする。
農漁業や工業の振興はよく分からないことが多いのでしばらく検討外においておく。
サービス業について考えてみる。
圧倒的に、高齢者、中でも認知症者、及びその家族の生活、また子どもと子どもの養育者を支えるサービスが不足しているので、それを地場産業化する必要がある。
具体的に、医療機関が発案者となって産業起こしに関わるとする。
どういう事業体を地域住民や行政に提案することになるだろうか。
基本的には、互助の事業化としての労働者協同組合の創立という形態になる。
ただし、今の日本ではそのための根拠法律がないので、有料ボランティアによるNPOで代用するしかない。
その際の比較対照事業として、コンビニによる高齢者への食料宅配、見守りの有料サービスを置いてみる。
比べて見てわかることは、結局は社会の富の公正な分配が裏付けになる、それがあれば、両者の効果は同じだし、なければ両方とも成り立たないということである。
現在の延長としてコンビニ関連従業員からの一層の搾取で一時の利益は上がるかもしれないが、それでは労働力の供給、地域の購買力の供給がいずれなくなる。
大都市の大企業と富裕層への富の集中を転換し、例えば、最低賃金法などの大幅な改善があれば、NPOの一員によるにしろ、コンビ二従業員によるにしろ、一定のサービスが地域に保障され、それに携わる人たちの雇用や労働条件も改善されるだろう。
コンビニがいいか、労働者協同組合がいいかという、いわば生産関係の問題は、当面、その地域でどちらがより可能かという問題となり、本質的な良否の議論は先延ばしが可能である。それは、株式会社を協同組合のように扱えるかどうかという本質的な問題ともなるだろう。
ここで、市場化と営利化が今では同じものとしか見えないが、営利化されない市場というものが、その背景に分配の公正を伴えばありえるのだということに気づく。
さて、そこで、振り出しに戻って、現実に実際に公正な分配を実現するためには、運動としてのNPO、闘いとしての町づくりが必要となる。
現実の不平等の是正を本質的に必要なこととして求めない町おこしは偽物だ、ということになる。
認知症に優しい町づくり、というスローガンが、格差の是正というスローガンと一体になっていないのであれば、ただの幻想か、詐術である。
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コメント
感謝のしようもありません、
投稿: Ado | 2014年9月22日 (月) 20時01分