病院総会での法人理事長
宇部協立病院総会参加の皆さんご苦労様です。
健文会 理事長の野田と申します。
今日は最近の情勢についてお話ししようと思いますが、その都度都度の情勢は、毎回法人理事会でお話ししているものをある程度の範囲にコピーして配るようにしています。
顧問弁護士の内山先生は、毎月送ってくる理事会資料は一度読むと処分するのだが、理事長挨拶だけは捨てずにファイルするといってくださっています。それほどのものとは自分では思えないのですが、政治と医療の関係を何とか毎月見つけ出そうと努力しているのは確かです。それをもう6年以上続けているわけです。
今日は先月の理事会分をお配りしましたので、ぜひ、目を通してください。
いまの情勢の焦点は、集団的自衛権の行使容認の是非と、それに密接に関連する沖縄県知事選です。雑誌「世界」8月号に沖縄の問題を深く捉えた大江健三郎さんの文章がありましたので参考につけておきました。また、今後日本が戦争を始めるとすれば、それは第二次大戦の敗戦時期とは違って、「戦争はもうかる、戦争は面白い」という物語に社会が支配されていた第1次大戦時期に似てくるはずです。朝ドラの「花子とアン」も実はその時代で、「嘉納さん=伊藤さん」のような石炭王などの成り金はその時代に出現したものです。戦争ビジネスでもうかった若者がかってのホリエモンのようにもてはやされるというような環境の中で反戦運動をして行くというイメージをもつ必要があります。その資料も付けておきました。ぜひご一読ください。
今日、一つ追加しておこうと思うのは、次のことです。
医療経営専門雑誌「フェイズ・スリー」の8月号に面白い記事が乗っています。
介護保険の立役者中村秀一が中心になって、消費税3%値上げ分8.4兆円のうち残ったわずか904億円 を厚生労働省医政局が保険局を抑えて、自らの財源とし政策誘導の基金として使うことがどんなにパラダイムシフトと呼べるくらい重大事件なのかということを言っているのです。額がみみっちいのですが、それでも全国の医療経営コンサル諸君が補助金の取り方を教えると言って目の色が変わっているそうです。
僕が注目するのは、その額や厚生労働省内の勢力争いではなく、政策誘導の対象としているのが3点あって、7:1の病床削減 を中心とする病棟再編、在宅医療と介護サービスの充実、医師養成の強化だということです。
この対象選定は日本の医療の変化の焦点として正確なものです
今日は、民医連がその中で、在宅医療と介護サービスの充実、広く言えば地域包括ケアをどう自らのものとしてとらえ、21世紀の民医連の事業活動の主流として発展させて行くかということについてごく簡単に述べて、病院総会への理事長挨拶に代えたいとおもいます。
私は一応、全日本民医連で、地域包括ケア問題を考える責任者の一人ということになっていますが、そういう資格や実力があるのかどうかいつも悩んでいます。今日、お話しすることも民医連の公式見解でなく、全日本民医連が持て余している副会長の独り言に過ぎないかもしれません。
1:私は地域包括ケアには違う物を同じ名前で呼んでいる、相反する二つの潮流がある、と考えています。
2:政府側の立場で地域包括ケア政策の中心になっているのは田中 滋慶応大名誉教授ですが、
「地域包括ケアはケア付きコミュニティのこと」というのが彼の結論のようです。
これはケアをコミュニティの本質、目的と捉えず、付属物とするもので、
「温泉付き別荘地」と変わらない発想だと思います。
「あなたの財布に合わせてケアが自由に調達できる」地域を目指すのだいうことです。
3:政府側の地域包括ケアの、「地域」とは、住民のボランティアへの動員のことだと僕は考えて来ましたが、よく見てみると、政府はそれも本気ではなく、コンビニ、宅配、スーパーマーケットなどを市民の互助の代わりに使おうと思っているようです。すなわち地域生活の市場化、営利化のことです。
また「包括」とは、各事業の連携強化のことでなく、資本の経営統合のことで、例えば地域包括ステーションという形などで、そのお膳立てをしたのち、資本に提供することうぃ言います。
そういう意味で政府の地域包括ケアは新自由主義政策そのものだと言えます。
4:その経営統合は地域包括ケアのみならず、急性期医療も組み込んだ、医療介護全体の持ち株会社「ホールディング型カンパニー」という形態を取ろうとしています。
そのいい例が岡山大学が全国の先頭に立ってやろうと思っている岡山大学メディカルセンター構想です。こういうものを、人口100万人につき1個、全国に100個作ろうと思っているのです。
5:地域包括ケアの模式図も次第に変化しています。
2006年は、各要素が対等の花びら型として描かれましたが、
6:2013年には土台を自助の心構えと住宅においた植木鉢としてえがかれるにいたりました。自助と互助は強固に土台とし、公助・共助はいつでも枯れて良いという思想がにじみ出ています。
7:自助の基本である「本人の心構え」とは死後3日以内の発見を自然な孤独死として受け入れろというものでした。
8:
これに対して、私たちのめざすのは全く違う地域包括ケアです。歴史的に必然だ、という意味で歴史的地域包括ケアと仮に名付けておきたいと思います。
9:それは、障害のある人と
その人をケアする人、
彼らを中心して同心円状に取り巻く社会構成を正義の基本とする
いわば「ケアの正義」をめざすものです。
10:それは、福祉のあり方を、低負担低福祉か、高負担高福祉かという、単純な2次元の現象を、「ケアの正義」という視点で判定するという、3次元で考える枠組みを提案するものだともいえます。
11:「ケア付きコミュニティ」でなく、ケアを本質的な目的としたコミュニティを資本や国家と対峙しながら作って行こうというのが、私たちの主張です。
12:このときの発見として自助・互助・共助・公助の考え方においても、市民の互助をこそ人間社会の基本と考え、自助を新自由主義的な虚構と考え、公助は市民が国に要求して勝ち取るものだとい見方を考えつきました。
13:そこで、今の民医連にとって課題となるものは以下の2点になろうかと思います。
①:民医連が事業所が、民医連としてめざす地域包括ケアの連携の中で、他の経営体や事業所と協力してどういう位置を占め、どう創造性を発揮できるか
②:地域住民を主人公として地域包括ケアの中にどう登場させることができるか
これを進めるときは、やはり先行する全国の民医連内外の優れた経験から学ぶことが大切です。ここでは三つの例を提示しておきます。
宮崎の「母さんの家」という、小規模な保険外のホスピスです。宮崎県にホスピスがないので作ってほしいという運動を、退職看護師さんが拾い上げて、こういう形で、「宮崎県をホスピスにしよう」という運動として展開したものです。
私たちは、これに習って、私たちの住む街全体をグループホームにしよう、徘徊しても何の心配もない街を作ろうという運動にできると思います。
もう一つは秋山正子さんというカリスマ訪問看護師が始めた「まちの保健室」です。
最後は新潟県の大型施設が、小さな施設に分かれて地域の中に溶け込んだという例です。
宇部協立病院も、これからは地域包括ケアの中でどう自分たちの役割を打ち立てるかが極めて重要となると思います。
ぜひ個もことを留意していただいて、充実した議論をしていただくことを期待して私の挨拶といたします。
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