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2014年8月25日 (月)

ミンイレニチュード再論

昨日投稿したことなのだが、、ひょっとして、これは「コロンブスの卵」だったのかもしれないと思い、もう一回表現をかえて投稿してみる。

(こんな風に書くと「コロンブスの卵」なんて知らないという人が必ず現れるので、ものの例えにも世代の違いがあると痛感させられる。
これを「断絶」なんて表現すると、さらに時代がかる。1970年ごろのベストセラーの名前なのだから。
したがって、チョムスキーのように、ぶっきらぼうに伝えたいことのみ書くのが一番だが、ここでまたチョムスキーって誰?と反発される。
そうなるとだんだん、僕も居直ってしまおうという気になる)

医学生対策や職員教育で民医連について語ろうとする時、多くの人は、民医連綱領や歴史というテキストになっているものではなく、意識下にある何かを表現しようとしている。

それはときに「民医連らしさ」という言葉で表現される。

丸山真男にならって言えば民医連の「古層」、加藤周一風にいえば、民医連の「核心」である。

多くの職員にとっては、綱領よりもこちらの方が重要で身近なのである。例えてみれば、綱領が憲法であるのに対し、民医連らしさは文化であり道徳なのだ。

では、民医連らしさとは何か、ということを無理にでも言葉にしようとすれば何になるのか。
センにならって、利己心を超えたところにある、人間としての「他者への共感と関わり」としてみれば、大きくは外れない。

しかし、こういう抽象的な言葉として表現するより、民医連らしくあることの具体的な姿を100くらいの行動様式としてまとめられれば便利に違いない。

ベストセラーになっている「民医連看護のテン・ストーリーズ」もそういう試みである。

そういうことを考えていると、僕にそう考えさせるごく最近の出来事があったということに思い当たった。
ユマニチュードというものを知ったことがそれだ。

植民地の黒人奴隷が解放を勝ち取って社会の主人公になって行くときのあり方についての主張が、障害者の自立と支援の領域に取り込まれ、「人間らしさの回復」のあり方として示されたもの。
支援者の具体的な行動様式として100個台の項目にまとめられている。

そこで、僕の造語として、「ミンイレニチュード」を思いついたのである。

民医連について体系的に、しかし分かりやすく語ることができたら、という思いなのに、こんなふうにかえって分かりにくくしか語れないのは困ったものだと思うのだが。

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