虹色の国
未明に広島の山村で独居している父の身体の不調を訴える電話に起こされた。
数日続く断続的な高熱。詳しく聞くと尿路感染症らしく、FAXで送ってきた地元の病院の明細書でロセフィンCTRXが十分量使用されていることを確認して、そのままその病院で治療を受けることを勧めた。
初日に救急車で運ばれるとき悪寒戦慄が長い時間止まらなかったことを淡々と話す父の本当の不安さを感じて心が暗くなる。
何時もより随分早いがそのまま起き出すことにする。
インスタントコーヒーがビンの底で少し固まっているのをスプーンで砕いて溶かして、砂糖を何時もの2倍位入れて喉に流し込む。
それから、自民・公明両党の集団的自衛権行使容認の合意を知らせる臨時ニュースのテロップを見ながら、NHKの朝ドラを見る。
個人的にみても、日本をみても、大きな曲がり角が来て、素早い決断や行動が切迫していることをひしひしと感じて、今度は自分が不安になる。
朝ドラは雑誌「ニジイロ」がようやく発刊にこぎ着けたシーンだった。
その雑誌の出来栄えに夫の真実を読み取る一方、自分は結核で長く入院して退院の見込みもない女性の描写に、連想される記憶の喚起があって知らないうちに涙がこぼれている。
今朝はどうにかしているのだろう。
病院に出勤しようとして自転車にまたがった時、ネルソン・マンデラが夢見た国も「虹色の国 (Rainbow Nation)」だったし、生協運動も虹色の旗を掲げていることを思い出した。
虹色とは白色光線から生み出される無限の色のスペクトラムのことで、決して7色に限ることではないから、それは「多様性の無条件の尊重」ということに他ならない。
いま、そこにある人々の不安をままを受けとめて、何かを社会の名において強制することなく援助し合う関係が広く作られたら、僕も父も救済されるのにとおもいながら、何時もの坂道を下った。
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