柄谷行人・蓮實重彦全対話(講談社学芸文庫)ほ
柄谷行人・蓮實重彦全対話(講談社学芸文庫)ほど読みにくい、わかりにくい代物はない。そもそも文章ではないので、飛躍が多く、話のつながりが見えない。そんな不満をいっても、「それは、お前がバカだから」と残酷に言い捨てるこの二人の顔が思い浮かべられて不快になる。
読み始めたので仕方なくページをめくっている有様。不毛な読書の典型に挙げたい。
しかし、今朝、ふと、いい話を見つけた。
それは、御釈迦様について伝えられている話のなかで、数少ない事実だろうと、柄谷が信じていることについてである。
最初の弟子が、悟りを開いた御釈迦様の話を聞いて「真理を知って勇気を得た」と感想を言ったとき、御釈迦様は「私は間違っていなかったのだ」と心から安心の風を見せたという。
これについて少し検索してみると、御釈迦様は悟ったあと、この悟りを広めても殉教者を多く生み、人々はかえって苦しむばかりだろうから、もう説教はやめようと鬱状態に陥っていたとのことである。
さて、私が、なぜこんな話をするかというと、御釈迦様でさえ、自らの気付きや認識に対してそのような不安をもっており、他人の反応を頼りにしていたのだから、FBの「いいね!」は、多くの人にバカにされながら、それなりの効用を持っているのではないかということである。
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