2014年7月1日の意味
深夜に起きていてこんなことを書き付けるのは、もし自分に何らかの立場があるとすれば、相当に危険と言うか、思慮にかけることに違いない。
それでも2014年7月1日に歴史が大きなページをめくったというのであれば、それは、日本の反戦運動の変容、あるいは世界の反戦運動への完全な合流ということになるのだろうということは、どうしても言っておきたい気がする。
こうして、自衛隊が完全に米軍の一部隊となってしまえば、日本人の戦争体験も米国型にならざるをえないからである。
映画で言えば、「7月4日にうまれて」(1989)や、「プラトーン」(1986)の世界である。
これからは戦争体験を語るとき、例えば「スイトン」を食べて知る15年戦争の銃後の生活の苦しさ、空襲への恐怖、あるいは全身が炭化して死亡する原爆被爆体験を、これまで通り語るというのではだめで、別の想像力の枠組みの中で語る工夫が求められるのだと思う。
少なくとも、「米日の国力の違いを無視した無謀な戦争だったから、その戦争を始めてはいけなかった」程度の反戦論は無意味になった。
この発言が残り少なくなった貴重な戦争体験者からの反発を買うことは承知の上で言うのだが、15年戦争の内地の戦争体験がもっていた戦争抑止力は7月1日にほぼ終わったといえるのではないだろうか。
今後、15年戦争体験の中で引き続き注目すべきものとして、大岡昇平の小説「野火」で描かれるような飢えて病死して行く敗残兵体験、侵略先から追放される満州移民の引き上げ体験が残って行くだろうが、それでも、それだけではこれからの日本の戦争体験を想像するには不十分だということである。
広河隆一さんが発行しているDAYS・JAPANなどでうかがい知ることのできる米軍に殺される側、すなわちイラクやアフガニスタン・パキスタン側の実態も十分に見なければならない。
殺人機械になって行った後の兵士の人間としての壊れ方、「敵地」に残された侵略兵士の死に方などにも目を配らないといけない。
また、チョムスキーが指弾してやまない、巧妙で欺瞞に満ちたマスコミなどの世論操作の手口は、隣組や国防婦人会の醜くて憎らしい抑圧とはけたがちがうものである。
さらに三菱重工などの軍需産業が、原発輸出と並んで巨大な利権を拡大して行くときの政治を動かして行く仕掛けの暴露がいまよりもっと重要になるに違いない。
これらのことはすなわち、アメリカや韓国の反戦運動と日本の反戦運動が同じ水準になったいうことである。
憲法9条も、ただ7月1日以前に回復されるというのでなく、世界あげての目標として、より高い次元で回復されるべきものとなった。
とりあえず、今後の青年層が巻き込まれる戦争像を語る素材を、医療従事者と教育従事者とが協力してつくりあげなければ、7月1日以降の反戦運動は出発できないのではないだろうか。
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