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2014年6月24日 (火)

ある引退のサイン

いつもの外来待合室の喧騒に今日は格別苛立ってしまうのは、予約ではない一般外来の方の診察室に座りながら、同時に病棟に不安定な患者を持っている僕の方に理由がある。

患者の大きな笑い声、ダミ声、聞きなれない方言、怒声、それに応じて患者に類似していく職員の発声の変化、早口、大声、方言でのタメ口。

見方を変えれば、それも衰退する地方の工業都市の市中病院らしい愛着を覚える光景なのだが、農婦が静かな声で用事を済ませていく診療所が懐かしくなる。それも中原中也の詩に影響された僕の中の美化された記憶に過ぎないとわかっているが。

ふっと肩の力を抜いて、自分をどこか遠くから来たパート医師で、外来も病棟も自分とは縁遠いもの、何も評価しない立場でこの一時をやり過ごせばいい存在だと思うようにしてみると、瞬間的にでも楽になる。

いや、それは、仮想のことでなく、もうそろそろ、本当にそういう存在になるべき時期が来たというサインなのかもしれない。

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