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2014年6月19日 (木)

「ケアの倫理」と、平野啓一郎「分人論」

今朝、6月の理事会に出張しようとして鞄の中を探すと、飛行機のチケットがない。
3週連続の東京出張なので医局の秘書さんから受け取ったかどうか記憶が確かでない。
病院に電話すると秘書さんは「えっ、どこに出張するのですか?」と言って、絶句してしまった。
6月の暑さで加齢が進んだのは僕だけではないらしい。

数万円高いが、当日券をカウンターで購入する。
JALの地上係員に「失礼ですがお幾つでしょうか」と聞かれたことに傷ついた。ついに、年齢を聞くことが失礼になるほどの外見に至ったのだ。

さて、東京に向かう飛行機の中で、ファビエンエンヌ・ブルジェール「ケアの倫理ーネオリベラリズムへの反論」文庫クセジュ2014/1を、事情あって読み返した。
真っ先に「他者に依存しない自律した個人」が存在するというのは愚かしい幻想に過ぎないことが明言されている。

人間は他者の配慮をうけないと生存できない脆弱な存在で、互いに依存した存在なのだ。それを前提に未来社会が構想されなくてはならない。
その時の中心理念が「ケアの倫理」であり、自己責任原理で貫かれる新自由主義的正義と真っ向から対立する。自己責任という考え方が「ケアの倫理」の中にはないのだ。

ここで、僕が思い出したのは、「ドーン」(夜明け)や「決壊」の小説家である平野啓一郎の「分人論」である。

これも、「自律する個人」という概念を否定する議論である。私が取り結ぶ人間関係の数ほど「分人」が発達し、そのすべてが本当の自分なのだというのがその主張である。
だとすれば、異時的に、あるいは同時にでも、ケアされる自分と、ケアする自分が一つのものとして捉えられる。まして、ひたすら自己の利益のためだけに合理的に行動しようとする自分などは成立しないことがわかる。

「分人論」も新自由主義的な人間像を否定する有力な考え方とみなして、「ケアの倫理」に取り込んで行く必要があるのではないか。

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