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2014年5月12日 (月)

中村秀一 「高福祉・高参画」の実態

岡山で開かれたプライマリ・ケア連合学会学術大会の最終プログラムに登場した前内閣官房社会保障室長の中村秀一氏の佇まいは高級官僚らしい迫力があった。それなりに頭も良く、苛酷な長時間労働を経ていろんなことに通じているのだろう。
別の場で、彼は「高福祉・高負担」でなく「高福祉・高参画」だと言っている。参画とは住民参加のことである。
ここまでは僕たちと同じである。住民の参加こそが無差別・平等の地域包括ケアの鍵だ、というのは、アマルティア・センの考えにも通じる正解である。
だが、中村氏の「高参画」は自助の拡大として互助・共助を提案する貧困なものでしかない。
立派な風格の高級官僚が提示する愚かしくも惨めな政策。
要支援レベルの軽度者を介護保険から追い出して、わずかなトレーニングを経た住民ボランティアにディサービスや家事援助を担わせるというのが、その具体的姿である。
家族を介護から解放すると言う彼の主張の実態は家族を介護の主力とする日本型福祉社会論をさらに強化するものでしかない。
僕たちが言う「住民参加」は、その反対に家族に負わされた介護の責任を解消するための住民の力の組織である。それは、医療介護制度の住民によるコントロールと住民サイドからの政策提示能力の発揮である。
そのためには徹底的に医療介護制度に通じた住民の組織を作り出さなければならない。具体的にはグラムシが構想した工場評議会の医療介護版と言っても良いだろうか。
医療機関の経営・運営で鍛えられた民医連共同組織や医療生協組合員としての経験がここで生かされる。(・・・・そのためには、それにつきまとう「お客様意識」や「ご主人様意識」のアンラーニング=学び捨て が必要になるというのは篠塚先生の主張だが・・・・)
その際、コアになるのは、マルクス主義フェミニズム運動にその多くを負う「ケアの倫理」論であり、社会を「ケアの同心円」として構成し直そうとする構想でもある。
さらにその基礎になるものとして健康の社会的決定要因群SDHの認識によって画期的に豊かにされた健康権と健康戦略がある。
それは理論的にもロールズの「正義論」の根本的修正による発展さえ成し遂げる力を持っているものである。

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