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2014年5月20日 (火)

若い頃の失敗、年老いての冒険

若い頃の失敗について書くと限りなくあるが、、50床の病院を作った30年以上前、子宮外妊娠の破裂「疑い」と診断した人を、本人だけで地域の基幹病院にタクシーで行かせたところ、タクシーのなかで本人の応答が薄れ、基幹病院の玄関先で大騒ぎになったということがある。
救急告示を掲げながら内科しかなかった小病院の経験が初めてで、生きるか死ぬかという状態で大病院へ転送する作法が分からなかったのだろうと、あまりに未熟だったころの自分を振り返って思う。
同時に、事実上たった一人で病院全体を切り回していて、そのなかでの誤りを容赦無く 他院の専門医に電話で叱責されている自分を思い出すと少し不憫になる。
それでも、その時の転送するという決断に要した時間は短かかった。それまで北九州の救急を一手に引き受けようとしていた病院で研修していたからである。
長い前置きになった。
今朝、パートの当直医の先生が早く離院するというので、その交代要員として何時もより早く出勤した。
90分前に救急車で運び込まれて痛みでぐったりしている女性がサイン・アウトされた。
橈骨動脈に触れると微弱ですごく早い。すぐにFASTを応用した超音波検査をしてみると、上記と同じ疾患とわかって、基幹病院に直ちに連絡。
この時も回りに誰も医師がいないので、当直の外来看護師さんに救急車に同乗するよう頼む。159床の病院を医師ゼロにはできないからである。15分足らずで、ポタコール全開輸液のまま患者さんは僕の目の前から消えた。
遠ざかる救急車の音を聞いていると、再びあの車のなかで不測のことがあれば激しいクレームがくるだろう、しかし、そのときはこの前のように黙って相手の攻撃に耐えているだけということはないだろう、などと考えてしまう。
ショック状態は十分に改善しないままだったが、無事に到着して、救急救命部のメンバーの手に患者さんは会話可能な状態で手渡された。
朝から、アドレナリン全開となったので、それを鎮めるためにこうして駄文を書いている次第である。

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