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2014年5月21日 (水)

平野啓一郎「かたちだけの愛」中央公論文庫2013 初出は2011

昨日読み終えたときは、評価に値しないような駄作だと思ったのだが、今日、妙に気分を支配されているのに気づく。

駄作だと思ったのは、交通事故で片脚を失った女優である女主人公「久美子」のリアリティのなさによるのだが、実はそれはまったくどうでもよいことではなかったのかという気がし始めた。

母や恋人がセックス依存症で、主人公にとってはおぞましいとしか言えないような日々が続いているとき、どのように、それらの人との間に愛を成立させるのか。させることができるのだろうか。

これが、自分の病気のための薬を作る研究者のように小説を書いているという作者の主題だとしたらどんなに辛くて悲しいことだろう。

ある箇所を読んでいて僕がつい涙を抑えきれなかったのは、人間関係の苦しさを抱えて生きていかなければならない若者への同情を禁じられなかったからである。

この主題を前に女主人公の造形などどうでもよかったのだろう。そもそも女主人公などではなくて、主人公は義足のデザイナーである青年「相良」一人だけだった。

恋人との間に自分のたくさんの「分人」のなかでも最も輝いている「分人」を形成し、その「分人」が恋人の中に、恋人の多数ある「分人」の中でも最良となる「分人」を生んでいくことを望むしかないというのは彼の決意である。

*両側の下腿切断を克服して女優やアスリートして活躍しているエイミー・マリンの語る感動的な話はTEDというプレゼンテーション番組で容易に視聴できる。小説は読まなくても、これを見る価値はあるかもしれない。

** 主人公である青年「相良」の故郷、滋賀県長浜にあるという「長浜タワー」も、一度ネットで画像を見ておくとよい代物である。思わず笑わされてしまうし、自分の町にもこれがほしいと思うこと必定の建造物である。

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