津田敏秀「医学的根拠とは何か」岩波新書2013/11
①
岡山民医連の道端先生が読んだと書いていたので、今日の日直の合間に津田敏秀「医学的根拠とは何か」岩波新書2013/11を読むことにした。基本的に岩波新書の医学領域の本はスルーして、読むことは少ないのだが仕方ない。
医者には、歴史的に直感派、メカニズム派、数量化=統計学派の三派があって、協力したり、排斥しあっていると書かれている。
EBM派は統計学派の別名であるが、なかなか、日本では主流になりえない。
主流はメカニズム派である。ピロリ菌のように人体で発がん性が統計的に確認され、国際癌研究センターーIARCが第1級の発がん性に位置付けていても、実験でメカニズムが証明されなければ信頼できないという態度で、日本の胃癌対策を15年おくらせてしまう。
アスベスト被害も水俣病被害の対策遅れにも同様な側面が目立つ。
その辺りを読んでいて、僕が看護師さん相手のカンファレンスを嫌いになった理由がのみこめてきた。
彼女たちはなぜか、がちがちのメカニズム派なのである。「先生がこういう指示を出された病態的根拠をお伺いしたいと存知ます。私たちの『病態に基づく看護』遂行の上で必要なことでございますから」という、まるで「花子とアン」の白鳥麗子さんからのような院内メールをまだもらっている。
何かというと「病態」なのである。
胆石があって胆嚢炎になっている位はメカニズムが説明できるが、独居の低栄養を背景にして高齢者の過剰サイトカイン血症を伴っている高熱や肝障害の詳細なメカニズムは一臨床医にただちに説明できるものではない。其れでもそのとき臨床医が選択した、事態を一歩でも解決するための一つの介入の是非に拘泥して延々と議論している。
これは、看護師レベルに浸透したメカニズム論の悪しき伝統にとらわれているとしか言いようがない。立場の弱い研修医を威圧する 方法論になっていると感じるときもある。
もちろん、これは、医師である僕に見せる彼女たちの「分人」で、案外、看護師同士は患者を人間として捉える別の「分人」で話し合っているのかもしれない。
その際、さすがにもう大ぴらには言っていないだろうが「病気は医者が担当し、病人は看護師が扱う」という患者の主体性抜きの機械的分担論の影響も根強いから、そうであれば良いというほど単純なものでもないが。
より広い視野で見れば、これらのことはべつにめくじらを立てることではないのかもしれない。今後、合流して行ける可能性があるからである。
②
社会経済格差と健康格差の間の相関関係の観測からは、両者の因果関係は証明されない。
麻生ナチス副首相が放言するような、健康法に努めているから社会経済的地位が上昇するという可能性を完全には否定できないからである。
そのために両者の中間的な媒介因子である健康の社会的決定要因SDHが探求され、確立した(ソリッド・ファクツ)ので、貧困→疾患という因果関係は間違いないものとなったと僕は考えてきたが、そう説明しながら、でも完全には証明し尽くされていないなぁという感じが拭えないままできた。
津田敏秀「医学的根拠」岩波新書2013を読んでいると、じつはSDHは証明そのものではなく、証明の道筋を示すための実践課題の集合だということに気づいた。
たとえば、19世紀ロンドンでテムズ川下流から水道水を取水することを止めるという実践でコレラが発生しなくなったということにより、汚染された水道水がコレラの原因だったという証明が完了するのである。
だから、SDHの発見だけでは証明は終わっていない。SDHとして示された具体的諸問題を実践的に改善して、健康が改善したとき、貧困→疾患という因果関係の証明は完成するのである。
考えて見れば、このことは、プディングの味は食べて見ないとわからない、実践が判断の基準だと19世紀にエンゲルスが言ったのと同じことである。
僕たちの認識の基本はどこまで言ってもまだマルクス主義の範囲内にある。
ところで、岡山大学教授の著者は、あの全共闘議長の山本義隆をよく引用する。そういう潮流の中にいる人だろう。
おなじように、岡山大学の衛生学領域の教授である某氏は、安倍首相とも親しく暴力団との関係も報じられる、日本戦後史で一回だけ明らかになった自衛隊クーデタ「三無事件」の逮捕者だった鹿児島の僧 池口恵観の弟子であることを公言している。不思議な大学である。
③
(津田敏秀読書メモ)
賢い医者になる早道
患者をよく観察し、何についても
病気あり 病気なし
曝露あり A B
曝露なし C D
の2×2表をせっせと作ってみること
| 固定リンク
« ゴールデンウイークによく働いた話 | トップページ | いまの生協の活動は、脳トレをしなかったから認知症になった、健診を受けなかったから病気になって医療費を使った、という自己責任追及を無意識に強化しているだけではないか »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 雑誌 現代思想 6月号(2016.06.04)
- 内田 樹「街場のメディア論」光文社新書2010年(2016.05.11)
- 「『生存』の東北史 歴史から問う3・11」大月書店2013年(2016.05.10)
- デヴィッド・ハーヴェイ「『資本論』入門 第2巻・第3巻」作品社2016/3 序章(2016.05.04)
- 柄谷行人 「憲法の無意識」岩波新書2016/4/20(2016.05.02)
コメント