「その人らしさ」への解答:エヴァ・フェダー・キティの「愛の労働ーあるいは依存とケアの正義論」から
長いこと考えてきて、時々は挑戦的に問題提起し、多くは適切な説明ができず、、感情的な反発を受けてきた問題に、今日、急に回答が分かった。
それは、看護活動などで使われる「その人らしさの尊重」についてである。
その人らしさが、人種・民族差別主義だったらどうなるのか。「あの看護師は在日だそうじゃないか。そんな奴に儂の介護をさせるのか」という男性患者の、その人らしさが、どう尊重できるのか?と僕は質問を続けてきた。
多くの看護師にとってこういう問題提起をする僕自体が嫌悪の対象となるようだった。ある講演の感想文に「講師の人間性が受け入れられなかった」と書かれたこともある。だから、対話は成り立たなかった。
今日エヴァ・フェダー・キティの「愛の労働ーあるいは依存とケアの正義論」をもうすぐ読み終えようという段階になって僕はようやくこの問題をどう処理すればいいかに気づいた。
第6章の表題は「私のやり方じゃなくて、あなたのやり方でやればいい。セーシャ。ゆっくりとね」である。
セーシャは著者の娘で高度の知能障害のある娘。この言葉は、彼女の職業的介護者となったペギーが、介護者であり続けることに迷っていたとき、セーシャを観察しながら、あることに気づき、「私の先生になってくれてありがとう。セーシャ。いま分かった。」と言った後に続けた言葉である。346ページ
あなたのやり方、すなわち、その人らしさは、その人が「依存しケアを受ける人」になって出現してくるもので、依存者と被依存者の間で形成されるそれぞれの分人である。
ここで、分人というのは、作家平野啓一郎の用語の採用である。したがって、上記の人種・民族差別主義者の男性のその人らしさは、真のその人らしさではない、それ以前のものである。
介護者との人間関係の深まりなしに「その人らしさ」は被介護者にも介護者にも形成されない。
お互いの分人として形成された「その人らしさ」を尊重することは、それを欠いてはケアが成立しないくらい、ケアの必須の要素である。
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