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2014年4月26日 (土)

2014年4月 医療生協理事会挨拶

                         2014/4/26   野田浩夫

ゴールデンウイーク直前の理事会となりました。

いまは宇部市役所前の通りのハナミズキが最高に綺麗な時ですが、そんな日に会議参加ご苦労様でございます。

さて、あとで議題にもなっていますが、医療生協健文会初のグループホームを上宇部地域にに作るという計画が急浮上しています。

グループホームは全国的にみると既に1万か所を超えて運営されており、いろんな経験が蓄積されているサービスです。そういう意味ではとりたてて珍しいのものではないのですが、私たちとしては先行する経験を学びつくして何か新しいものを付け加えると意欲を持ち、ありふれた施設建設に終わらせないようにしたいと思います。

医療生協全体、職員全体で、介護保険と認知症の理解を深める出発点にし、さらには「無差別平等の地域包括ケア」を今後どう作るかという論議を始めるきっかけにしたい、しなければならないと思います。

そこで、ぜひこのさい、この本の読書会を支部や班で、とくに介護職員を交えて、一緒にやって見てほしいというものがあります。

東京の柳原病院で在宅医療の日本の典型を作りあげた増子忠道先生が書いた「やりなおし介護保険」という本です。介護保険のここが困る、こう変えようと大胆な提案をしている本なので、介護現場で働いている人も、単に自分が見聞きしている介護保険の現状をなぞって語るというレベルを超えた驚きを感じ取りながら、自分の介護職員としての体験をかたるという深みのある学習会になると思います。

全部で20の章でできていますので、1年くらいで読み上げることができ、それが終わった時点では、介護保険に強い市民団体としての医療生協が出来上がっていると思います。

資料1として、この本の第5章「認知症は要介護認定になじまない」を添付していますので、読みながら聞いていただきたいと思います。最近、認知症に医師が急に熱心になっていますが、これ別に喜ばしいことではないと私は思っています。

認知症の研究が進んで、パーキンソン病のような脳の神経細胞の変性疾患だということがはっきりしてきたので、医者によっては胃癌のように早期発見ー早期治療が認知症にも有効だと思いこんだことがその原因だからです。

しかし、早期発見ー早期治療という早期胃癌モデルはもちろん認知症には当てはまりません。治らない病気で最後まで付き合うというプロセスこそが重要なので、早期発見がそれほど重要なわけではありません。アリセプト発売以降、雨後のタケノコのように認知症の薬を作ってしまった製薬会社の宣伝が医師をそう誘導したのです。

では、どういう姿勢で認知症に地域が臨めばよいのか、という話を、先ほどの「やりなおし介護保険」で読んでみましょう。

認知症には、中核症状と周辺症状があります。

中核症状というのは①記憶障害(側頭葉) ②見当識障害(『私』とは何者かを説明できる能力の障害)( 前頭葉、頭頂葉、側頭葉を結ぶデフォルトモード・ネットワーク)  ③高次機能の障害(失認と失行)(頭頂葉)からなりますが これは必ず進行していくものです。薬が効くというのは、アリセプトなどを飲むと、これらの症状がある期間だけゆっくりになるということをいみしているだけで、病気の進行は抑えられません。最終的な所に達する時間は薬を飲んでも飲まなくても同じです。それはパーキンソン病と同じです。発症してある程度経てば進行した末期状態になることは薬では防げません。

一方、周辺症状は、周囲との関係で現れてくる感情のこじれです。認知症になったことから生じる孤独感、不安感、不信感、恐怖感などの心理に支配されてしまう脳の一時的機能破綻です。

食事を食べたことを忘れて食べたいと本人が言うのに、周囲がそれは間違いだと頭から押さえつけ、場合によっては暴力をふるったりすると悪化します。こちらの方は、周囲の理解と環境を整備することで軽くすることが可能です。家族の方が苦しまれるのもこちらなので、このことはとても大切で、介護保険でのサービスや地域の認識の深まりに期待されるのもこのことです。

認知症の介護は誰かがいつも一緒にいるという安心感や見守りが常時必要で、ある時間帯に必要な世話が集中する身体の介護とはあり様が大きくことなります。

したがって、身体の障害とは別の基準の介護報酬基準を定めるべきで、それも進行程度によって2段階にわけるべきだ、いうのが増子先生の主張です。そして、夜間も介護の必要ないなる2段階目となると、もはや自宅でのケアは無理なことが多く、グループ・ホームが最適だということになります。

もし、この段階でなお、在宅による家族のケアを強要するなら、以下のような事態が多発することになります。全く不条理な判決だと思います。介護は社会の責任でなく、家族の責任だというかたくな姿勢は、生活保護において親族扶養を何が何でも必要要件にしようとする態度に通じていると思えます。

二審も家族に賠償命令 認知症徘徊電車訴訟で名古屋高裁
2014/4/24 16:17

(日経新聞)

愛知県大府市で2007年、電車にはねられ、死亡した認知症患者の男性の家族に対し、JR東海が列車遅延などの720万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が24日、名古屋高裁であった。長門栄吉裁判長は一審・名古屋地裁に続き、男性の妻の責任を認めた上で、約360万円の賠償を命じた。男性の長男については一審判決を変更し、賠償責任を認めなかった。

 認知症患者の急増が見込まれる中、家族の責任を認めた判断は介護現場にも影響を与えそうだ。

 一審判決によると、0712月7日、認知症の男性(当時91)が大府市のJR共和駅内で、電車にはねられ死亡した。自宅で妻と長男の嫁が介護していたが、男性は2人が目を離した間に外出した。

 昨年8月の名古屋地裁判決は「見守りを怠った過失」があるとして、男性の妻らに請求全額にあたる約720万円の支払いを命令していた。

 控訴審では(1)男性が徘徊(はいかい)することが予見できたか(2)家族の徘徊防止策は十分だったか――が主な争点となった。

グループ・ホームを建設することは、そういう意味で、認知症の切り札を作ることに他ならず、医療生協全体や職員組織あげて取り組む意義はここにあります。

これを入り口に無差別平等の地域包括ケアを考える市民集団を作って行くという展望を持つことができると思います。

次に、そういう市民集団の可能性について次に述べたいともいますが、資料2として、自治医科大学の地域医療学センターが、栃木県小山市の地域医療を考える市民グープにどういう援助をしたかという記録です。

何度も会議を開いて、市民が自分でアンケートを作り、回収、集計し、ついに、「いくらかかりつけ医がいても、夜間・休日という長い時間は役に立たない」という結論に至ります。

これを突きつけられると、医者や行政は、医療機関のグループ化を促進して、24時間の安心を整備せざるを得なくなるでしょう。

大事なのは、市民グループがアンケートに答える受け身の対象になるのではなく、自ら住民に広くアンケートをとって、市民の視線で地域医を設計する資料にしようという能動的な存在になることを、大学の地域医療学センターが支援していることです。

これは、医療生協に直接応用できることです。職員が組合員にアンケートとって地域医療を考えるというのでなく、組合員が自分でアンケートを考えて自分で収集する、職員は、そのお手伝いに徹する、ということでなくては、市民の力で地域包括ケアを作るということにならないと思います。

もちろん、職員の側は手伝いに徹すると言っても、手伝いと言うにふさわしい専門性を身につけておく必要があります。その教育もまた法人の仕事として精魂傾けないといけないと思います。

こういうことすべて、2014年度の活動方針と直結します。

今何に力を注いでいくべきか、理事会の集団的知恵を結集して、本当に地域住民の役に立つ2014年度の活動方針を作っていただけるよう、熱心な議論をお願いして私の挨拶といたします。

議長は、Y理事にお願い致します。

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