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2014年3月28日 (金)

健康をどう理解するか?ロールズの軸とキティ・センの軸

健康と病気は次元の違う概念だと思う。

健康は今日よりも明日、さらにより良く生きて行こうという力。

病気はそれに影響を与える最有力だが、あくまで一つの要因にすぎない。

健康の本質は、病気や障害などに阻害されることなく自律と社会参加がどれだけ達成されているかで決まる(ジョン・ロールズの軸)。

だから、ごく稀なケースではあるとしても、理念の上で重い病気で明日は死ぬだろうという日まで、健康でいることもできる、と今まで考えてきた。

それは、自立する個人から見た健康の軸とも言える。

最近、この軸だけでは不十分で、人が障害を持った時(極端に言えば自律も社会参加も不可能な脆弱な状態になった時、誰でも時系列で見ると人生の上で最低2回そういう時がある)に与えられるケアで決まる健康の軸があることを知った。

この軸の上では、ケア自体の質の良さも当然求められるが、それだけでなく、ケアの提供が強制や支配でなく曇りのない共感にもとづき、同時にケア提供者になることで受ける社会的不利が是正されているかどうか、すなわち、そのケアが正義によって成立しているかどうかが何より問われる(フェダ・キティやアマルティア・センの軸)。

たとえば、奴隷的労働によるケアは、それがどれほど質的に素晴らしいものであっても存在してはならないものである。

(しかし、これについては、奴隷主が突然の病気で身動きが取れなくなった時、逃げ出すチャンスを得た奴隷が奴隷主をそのまま見捨ててよいかという難問もじつは生じる。レイプの結果として出産した子どもを捨てて女性が自由を得て良いかという問題とも等価でもある。)

この軸の上で与えられるケアも健康を形成する一つの力として表現される。

それは、人のつながりのなかで見た健康の軸とも表現できる。

したがって、このロールズ・センの軸とキティの軸で決まる平面の上の力のベクトルとして健康は表現できるのだろう。

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