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2014年3月16日 (日)

組織のあり方:コンビネーションとアソシエーション

全日本民医連41回総会方針案の中で民医連の組織としての特徴3点を簡潔に述べた部分があったが、それについて自分の意見が容れられなかった所がある。もちろん、それはそれでいいのだが、後で振り返って、十分意見を言いつくさなかったという気がして、まだ考え続けている。

北海道民医連の伊古田俊夫先生の「脳からみた認知症」講談社ブルーバックス2012年の91ページに「ワーキング・メモリー」というものの説明がある。「討論や論戦を行う際にリアルタイムに取り出せる情報体系」を言うのだが、僕は最近これがとみに低下して、議論の最中に思い出せない固有名詞や概念の名称が多くなって黙りこむ時間が長くなった。「論争では負けたことがない」と豪語する北九州のT先生の対極にいるのである。

そこで今日も日直の合間に、昨夜考えたことをざっと書いてみようという気になった。

少数意見の擁護という意味で組織的にも許されるだろう。

組織には「コンビネーション とアソシエーション」の2種類があるというのが僕の議論の出発点である。

それは日野秀逸先生も言っていたことだと思う。しかしYAHOOの検索で「コンビネーション とアソシエーション」と入れても全くヒットしないので、やはり特殊な議論なのかもしれない。

組織はある目的のために人間を結び付けて出来上がるものだが、会社や軍隊の結び付け方は、人間の人格の一部を部品として設計図通りに配置したものである。これをコンビネーションと名付ける。それはどの法人や事業所でもみる組織図に表現されている。

その対極にある組織は、人々が平等により人格的に深く交流して助け合うもので、アソシエーションという。ここにも執行部は必要だが、それは上からの指揮命令のためではなく、共同事務の負託という要素が強く、選挙やくじ引きで選ばれる。生活協同組合はアソシエーションをめざす組織である。

「事業体」としての民医連は、いくら非営利といっても、生産物の品質を常に向上させて拡大再生産し続けて行くためには、コンビネーションでしかありえない。それはそれとして徹底しなければならないから、資本主義下で発展中の経営論の勉強やコミュニケーションの訓練も真剣に取り組むのである。

しかし目的は社会を一つのアソシエーションにすることだから、職員・組合員同士の関係は現時点でもそれを踏まえたものでなければならない。それが互いの成長や発展を保障し合う組織ということである。それはコンビネーションとは大きく違う。それを日本語でいえば「共同体的組織」ということになるだろうか。時代的制約があって正真正銘の「共同体」にはなりきれないので「・・・的な」とするのである。

その二つを結ぶものとして「運動体」としての性格が現われる。運動体はコンビネーション的でもあり、アソシエーション的でもある。あくまで自由な討議に基づきながら、決定の執行権が指導部に与えられ、構成員には決定に基づく活動が要請される。

民医連の組織としての三つの特徴はこのように、お互い矛盾した緊張関係にあるものが複雑に統一されたものである。したがって、方針中でこれを述べた箇所がさらっと理解されてしまうとは到底思えない。

こう書いていて、自分の若いころに先輩たちがしていた議論に比べ、ずいぶん粗雑なことを書いているなぁ、という気もする。

それは、僕たちのタスクが先輩たちよりはるかに量的に大きいのでしかたがない。聴診器一本で仕事をしていた先輩たちには考えたり議論したりする時間がたっぷりとあったが、僕たちはほんのわずかな時間でそれを済ませ、あとはひたすら働き、かつ商品知識を豊富にすることに使わなければならないのである。

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