« 組織のあり方:コンビネーションとアソシエーション | トップページ | 雑誌「世界」2014年4月号 池内 了「これまでの100年、これからの100年 (上)」 »

2014年3月17日 (月)

柄谷行人「遊動論 柳田国男と山人」文春新書2014/1

網野善彦「『日本』とは何か」講談社学術文庫2008年を読んだ第一の感想は、日本の歴史を圧倒的多数の農民による農業生産から、その労働者化による工業生産への生産力の発展という単線では考えず、さまざまな非農業民による交換・交流・交通を重視する立場が、柄谷行人の交換を土台にした経済・社会の理解に通じているということだった。

そのあと、偶然に上記を読むと、網野善彦の先行者として柳田国男が捉えられており、自分の感じたことが当たっていたのに少し驚いた。

柳田国男、網野善彦(35ページ)、宇沢弘文(65ページ)、柄谷行人とつながる系譜が見えてくるようである。

いずれも歴史や社会を、生産力と生産様式のみに還元するのでなく、人々の交流・交通・交換、また自然と人間の間の交流・循環を重視して考えようとする立場に立っており、めざすものは高い次元の共同体だということが共通している。

また、網野が男性中心の農業生産でなく、女性中心の非農業を重視したことは、いま僕がてこずりながら読んでいる、、依存しなければ生きられない人のための被依存者による「依存労働」(エヴァ・フェダー・キティ『愛の労働』白澤社2010)の重視にまっすぐつながる。

また柄谷のこの小さな本の中でも、契約である「互酬」を超えたところに愛が発生するとしている(161ページ)のも、未来の共同の形を示唆していると読める。それは障がいがある人のための「依存労働」に正当な地位を与えることと同じだろう。

となると、柳田国男、網野善彦、宇沢弘文、柄谷行人、川本隆史、キティ、セン、ロールズ・・・マルクスという大きな一括りが見えてくる。

それは協同組合志向、アソシエーション志向と呼んで間違いではないだろう。

なお、他に面白いと思ったところをメモしておくとざっと以下のようである。

○これまで、「互酬=贈与と返礼」と大雑把に捉えられていたものが、定住革命以前の遊動民に見られる純粋贈与と、定住革命以降の互酬と区別してとらえられている。

そして、法治主義的な「目には目を、歯には歯を(これは復讐をけしかけたものでなく、報復や罰の限界を社会として定めたものである)」につながる互酬をさらに超えた協同が展望されている(179ページ)

○遊牧民は、定住後に農耕民から分かれることによって、流動性を生かして農耕共同体を外から攻撃して支配し、国家を生んだ(188ページ)

*網野によると後世の武士も含んで、戦闘者も、芸能民に属する非農業民だった。彼らが日本の国家を作ったのである。

*国家による交換の特徴である「税による収奪と再配分」「戦死と神格付与」も、互酬の変形といえなくもない。そういう意味で「互酬」は定住後の人間の行動の規範とならざるをえなかったわけだが、「互酬」の形骸化、変質が国家の確立ともいえるのだろう。

○戦争をする国家は流動性を称揚するものであり、戦前の日本もそうだった。そういう風潮に抵抗するため、柳田国男はそれまでの山人研究などの遊動性への興味を封印して、農村に住む「常民」の研究、言い換えれば「一国民俗学」の研究を始めたのである(104ページ)。

*この姿勢は、新自由主義の流動志向への抵抗のあり方として今も有効性を持っていると思える。

○柳田の人生の中で一見逆方向に向くように見える「遊動する先住民=山人研究」、「定住農耕民=常民研究」に共通するのは、暴力や植民地主義への反発、小さい者・弱い者への共感だった。彼の前にはいつも「貧しい農村」があり、それを解決することが彼の終生の課題だった(61ページ)。

○柳田にとって農村の貧しさとは、単なる物的な貧しさではなく、社会から孤立して子供を殺してしまわざるをえないような人間の交流の貧しさ、すなわち「孤立貧」だった。(61ページ)その描写は、有名な「山に埋もれたる人生ある事」の序文に今も新鮮である。

○柳田国男の原点は子どもの頃経験した飢饉だった(48ページ)。

*これはアマルティア・センと同じである。センもベンガルの大飢饉を経験して人生の方向を決めたが、飢饉の際に決して食糧が不足していたわけではなく、政策(の欠如)によって孤立させられた人々が死んだということを発見する。これは柳田のいう「孤立貧」と同じことである。

|

« 組織のあり方:コンビネーションとアソシエーション | トップページ | 雑誌「世界」2014年4月号 池内 了「これまでの100年、これからの100年 (上)」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 柄谷行人「遊動論 柳田国男と山人」文春新書2014/1:

« 組織のあり方:コンビネーションとアソシエーション | トップページ | 雑誌「世界」2014年4月号 池内 了「これまでの100年、これからの100年 (上)」 »