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2014年2月 7日 (金)

川口啓子「職場づくりと民主主義 仕組み・会議・事務」文理閣2013/2・・・ケア・マネージャーの仕事こそ、再興され、より本質的なものになる事務労働の典型なのだ・・・事務労働とケアの共通性

みさと健和病院の篠塚医師が、Facebook上で詳しく解説していたのを見てこの本を購入した友人から借りて読んだ。

どこも面白いが、圧巻は 「Ⅲ.事務」 の部分だろう。

つい先日、僕も講師の末席を担った全日本民医連事務幹部養成学校が、2011年に著者の川口さんを招いたことが131ページで分かる。

そこでは医療機関の事務職は「ノン・ライセンス」ではなく、「ライセンス・フリー」なのだということが強調されている。

ライセンスが要らないのではなく、既存のライセンスから解放されているということである。

この本全体の中心的主張もこの131ページに書かれている。それは事務労働の本質を指摘した部分である。

医師である僕も、歯科医師である石原廣二郎さんも、事務職の本質を理解すれば事務職としての役割を果たさねばならなくなる。それがライセンス・フリーの意味である。

こうして、この駄文を書いていることも、ある意味、事務職として書いていることになるのだろう。

では、事務労働の本質とは何か。

分業が必然的となった今日の企業や事業所で、その存在理由(これを「当初の労働」とこの本は呼んでいる)を明らかにすること、すなわち協業を意識的に組織していくことこそが事務労働の本質だったのである。

しかし、事務労働も分業化されて、受付、病棟、総務・・・と細切れに、型にはまった仕事にされるとき、「ライセンスもいらない、病院のなかで最もつまらない仕事」となっていく。これが今だ。

したがって、僕たちが見ている事務労働は、本来の事務労働の抜け殻なのである。

再興される事務労働、あるいはこれから明らかにされる事務労働の本質は、企業や事業所の存在意義の、その人間的あるいは社会的な意味を見つけ、みんなに知らせていく労働なのだ。(137ぺーじ)

そのとき、一つの予測あるいは仮説がある。

企業や事業所の存在理由とされるもののなかで、人類にとって意義を持つもはおそらく非営利・共同セクターの中にある企業・事業所でしか見いだせないのだ。

再興される事務職・事務労働はこの予測あるいは仮説を明らかにする使命を担っている。

これが事務職・事務労働の本質である。

その萌芽を著者はケア・マネージャーに見付け出している。(136ページ)

僕自身も受験したことがあり、医師・歯科医師はじめ20種類以上の基礎資格を入り口にして就いていくケア・マネージャーだが、その労働は出自の資格にほとんど関係なく、さまざまな医療・介護労働を統合していく、すなわち協業を作り出す労働である。

現実がどのように歪んでいようと、彼らの労働は「基本的人権尊重という土台の上で民主主義的な相互依存関係を組織していく」以外にない。

このケア・マネージャーの仕事こそ、再興され、より本質的なものになった事務労働の典型なのだ、そういう視点に立てばこそ、未来が非営利・協同の中にしかないことも理解できるのである。

では、どうしたら、現在の細分化され干からびた事務労働が、本質的な事務労働になるのか。

その方策が 「Ⅰ.仕組」 「Ⅱ.会議」に書かれたさまざまな具体的な工夫である。

その意味では、この本は構成を間違えているといってよいのかもしれない。

ここで、僕は新しいキーワードを意識する。それは「民主的な相互依存』という言葉だ。

それは事務労働とケアの共通性の発見であり、「ケアの倫理」につながるものである。

それについては、また、別の稿で触れたい。

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