エヴァ・フェダ―・キティ「愛の労働 あるいは 依存とケアの正義論」 白澤社2010年 の「はじめに」について
この本も、2014/1/31 全日本民医連での勉強会で東大の川本隆史先生から、ファビエンヌ・ブルジェール「ケアの倫理-ネオリベラリズムへの反論」文庫クセジュ、白水社2014/2と合わせて紹介されたもの。
クセジュ文庫の方にも割と詳しく、この本が引用されている。あわせて読むべきもののようだ。
7-21ページの「はじめに」を読むだけでも刺激されることが多い。
11ページに「貧しいソロ・マザーの運命に『福祉戦争』が仕掛けられ、『福祉改革』の名のもとでソロ・マザーたちは戦いに敗れてしまった」という記述がある。
これは、現在の日本で展開されている「税と社会保障の一体改革」が、財界や富裕層から貧困な人々に一方的に仕掛けられている、後者からさらに福祉をはぎ取ろうとする「福祉戦争」だという本質を改めて理解させる文章である。その力関係では貧しい人たちが負けてしまうに決まっているが、そういうことが果たして正義の名において許されることなのだろうか。
そういうことをふまえて、12ページにはこの本の目的が書かれている。
「依存を組み込んだ平等理論を作り上げるための準備作業」としてこの本は作られている。
ロールズの正義論も、自立した個人の平等な協働としての正義の樹立という建前になっている。
だが自立した個人というのは虚構に過ぎない。そんな人間はどこにもいない。人間は生まれて死ぬまで必ず2回は絶対的に他人に依存する時期があるし、生涯にわたって一方的に依存しなければならない場合もまれではない。相互依存の連鎖の始まりには、必ずこうした一方的に依存するしかない人がいるというのも冷厳な事実である。
そういう事実に目を閉ざし、「自立した個人」という虚構をでっち上げ、依存を必要とする人、さらに依存者をケアする人を平等の領域から締め出し「福祉戦争」の標的にして無数の敗者を生みだしたのが新自由主義、ネオリベラリズムだということは、先のクセジュ文庫「ケアの倫理」に詳しい。
したがって、この「自立した個人という虚構」を打破して、一方的に依存するしかない人も含んだ真の平等を、どういう平等として打ち建てるかが、人類の今後の課題になるはずなのである。
そのときロールズの正義論の3原理は順位の変更を余儀なくされ、「最も不遇な人に対応する」という「格差原理」が第一に位置付けられるようになるのではないか?
この「はじめ」はそういう課題に挑む人の一つの宣言として読むことができる。
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