詩人に関して2題
(1)2/5詩人・茨木のり子について、一ファンとして稚拙な文章をこのブログに載せていたら
鶴岡協立病院の院長先生を介して、茨木のり子の墓前祭(鶴岡に彼女の墓があるのだ)を毎年開かれている開業医の先生から連絡をいただいた。
ブログやSNSがなければ、発表場所もない僕の文章が人目に触れることはないのだから、警戒すべきことはたくさんあっても、ICTは社会を確実に変えたのだなぁと思ったことだった。
ブログやSNSがなければ、発表場所もない僕の文章が人目に触れることはないのだから、警戒すべきことはたくさんあっても、ICTは社会を確実に変えたのだなぁと思ったことだった。
大阪生まれの彼女の墓がなぜ山形県鶴岡市加茂 浄禅寺にあるかを不思議に思ったが、少し調べてみると、医師だった夫がその地の出身で、夫の墓に入ったということだ。その鶴岡の地で大事にされているのは、地元の人の優しさだろうか。
(2)2/6 木曜午後は外来フリーなので少しゆっくりして、音楽を聴きながらレセプト点検をした。
今日は雪も降っているし、最近亡くなった詩人・吉野 弘について「祝婚歌」だけを大仰に取り上げたNHKに立腹もしていたので、高田三郎さんが彼の詩に曲をつけた合唱曲( 組曲 心の四季)「雪の日に」を聴いた。
今日は雪も降っているし、最近亡くなった詩人・吉野 弘について「祝婚歌」だけを大仰に取り上げたNHKに立腹もしていたので、高田三郎さんが彼の詩に曲をつけた合唱曲( 組曲 心の四季)「雪の日に」を聴いた。
(僕はCDを買ったが、今ではyoutubeで同じものが手軽に聴ける→
あるいはhttp://www.youtube.com/watch?v=AejYkcVmDNI こちらの方がよい )
「どこに純白な心などあろう どこに汚れぬ雪などあろう」 という自己への峻烈な態度こそ彼の本分だった。
「どこに純白な心などあろう どこに汚れぬ雪などあろう」 という自己への峻烈な態度こそ彼の本分だった。
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