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2014年1月11日 (土)

SDHの枠組みを知る意義をパウル・フレイレ「被抑圧者の教育」亜紀書房2013から考える

パウル・フレイレ「被抑圧者の教育」亜紀書房2013(三砂ちづる新訳)を読んでいると、SDHの枠組みを知ることは、病気になった人が自らを被抑圧者、健康を支配者から奪われたものとして認識することに役立つこと、そして誤った自己責任意識から解放されることが第一だと思えて来た。

それはすでに明治時代、肺結核で亡くなった石川啄木が次のように歌った直観の科学的認識である。...

「わが病の その因るところ深く且つ遠きを思ふ。 目をとぢて思ふ。」

もし患者にその自覚があれば、医療者の行う健康教育に対しても、知識の一方通行的伝達である「銀行型教育」を否定し、まず自分の物語から学ぶことを要求するだろう。

だから、問題はどうSDHの枠組みを伝えていくかである。

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