美しく整えられた抜け殻
出来上がったのは討論の果実のいっぱい詰まった方針案ではなく、討論を形骸化するため美しく整えられた抜け殻だったのではないかと、さみしく思いながら、空港で長い待ち時間を過ごしている。
昨夜のこと。
民医連の理事会の中では、年齢も近く、最も古い付き合いのH医師から、「最近、荒れていませんか」と言われた。
数年間勉強を続けて来た社会疫学の精髄である健康の社会的決定要因SDHを、民医連の理念の中に取り込むための、自分にとっては集大成といえるような結論的文章を僕が自分のブログや、FBのこの広場に書き込んでいることを十分理解してくれていながら、それよりも彼が心配してくれたのはそのことである。
確かにそうなのだ。最近の僕の精神状態は荒れていると言われてもしかたがないところがある。
健康権、健康戦略、正義の測定器としての健康の占める位置、その基礎理論としてのケイパビリティの平等論、健康戦略とSDH、SDHの臨床への影響の受け皿としての患者中心の医療、総合診療の中核となるべき患者中心の医療の位置、総合診療の担い手は総合診療医だけではなく精神科医や歯科医と作る医師チームやさらにチーム医療の構成員でなくてはならないこと、などがほぼ体系的に出来上がっているのに、それを民医連の方針に反映する術がなく、わずかに断片的なフレーズが採用されるだけというのがぼくの現実だからである。
晴れた冬の飛行場の開けた風景を眺め続けていても心が慰められることはない。
この発言も荒れていると言われるのだろう。
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