2014年最初に読んだ本 帚木蓬生「蝿の帝国 軍医たちの黙示録」、山崎豊子「大地の子」
どちらも、年末に見た新聞記事がきっかけになって読み始めたものである。
2013年に物故した人に関する記事の中で、誰かが山崎豊子の最高傑作として「大地の子」を挙げ、同じ新聞に新潮文庫新刊の帚木蓬生「蝿の帝国」の広告があったというだけのことである。
気付けば「大地の子」は本棚にずっと前からあった。帚木蓬生の本は一冊も読んだことがなかったので本屋に出かけてすぐに見つけた。
どちらも、よく似た即物的文章で、読むのに苦労しなかった。並行して数日で読むことができたが、敗戦前後の満州の描写などは当然同じようなものであり、印象が重なってしまった。
精神科医で、白血病も患っているという帚木蓬生の「蝿の帝国」は、主として雑誌「日本医事新報」の毎年の随筆特集に大量に収録されてきた医師たちの戦争記録を読み込んで出来上がったような短編集である。
素人の断片的な随筆を集めて、任官前後の若い軍医たちの視点から捉えた第2次大戦像として再構築し、小説として描き直したもので、アイデアとしても優れている。
「蝿の帝国」という書名は、広島に原爆投下3週間で調査に入った京大の病理医の物語「蝿の街」によるのだろう。
「と、すると今現在、広島の街全体が屍体遺棄場になっているのだ。街にこれほど蝿が多い理由がのみ込めた。」(新潮文庫版81ページ)
と描写される原爆直後の広島が、敗戦直後の「大日本帝国」の版図全体のありさまだと示唆されているのだろう。
原爆直後を医師として回顧した記録は多い。肥田瞬太郎医師の自伝的文章にも詳しいし、加藤周一もあまり語りたがらなかったが、調査班として広島入りしたことは書いている。それらのなかで「蝿の街」も広島を伝えるよい短編だと思う。
(肥田医師は原爆直後に軍医として牛田地区で活動しているが、この短編の主人公のいたところと一致し、突き合わせてみれば登場人物は重なるのかもしれない。)
また、「枕崎台風」の名前は出てこないが、それと思える大型台風による京大調査班の遭難と多数の医師の死も描かれている。僕はこの事件をうかつにもこの本で初めて知った。遭難現場である広島県大野町の人々にとっては周知のことなのだろうが。
ところで、15の短編のうち、もっとも優れていて、全体の題の基になっているこの短編だけが軍医を主人公としていないことは誰か気付いただろうか。
全体を通読した感想は、当時の若い軍医たちの情勢認識の圧倒的な暗さである。作品のなかで、日本が必ず敗北するだろうという見込みを持っていたのは、1945年4月に主人公が相模原の陸軍軍医学校に入学する時点で出会った、たった一人の教官のみである。
「そしてもし、諸君が軍医でなくなったときは、今度は国民の健康を守る医師として、全力を尽くしてくれ給え」(新潮文庫版376ページ)
と、その教官が6月の卒業式で述べる時も、主人公は奇妙な気がするだけだったのである。自分が軍医でなくなる日が来ることがこの時主人公には実感としてありえなかった。
この状態は1945年3月の東京大空襲の負傷者を治療していた加藤周一の考えとあまりににかけ離れる。彼は1940年の開戦のときから敗戦を正確に予期していたからである。
当時、多くの場合、若い医師であることは歴史の見通しにおいて知識人の名に値するものではなかったということだろう。
それは現在においても何も変わらないのではあるが。
山崎豊子の旧作「大地の子」については、今になっては新しく知ることもなく、いつも強くて前向きの主人公(陸一心)が「鋼鉄はいかに鍛えられたか」の主人公によく似ているなあと思いながら、ひたすらストーリーを追っただけだった。
それでも、悲惨の一語に尽きる主人公の妹の死の描写には襟を正して読んだ。
またこの小説が、中国現代史の中では数少ない好感の持てる悲運の中国共産党指導者・胡耀邦の山崎豊子への全面的支持で完成したというあとがきも大いに納得できたことであった。
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