「加藤周一 最終講義」かもがわ出版2013
だいぶ前に読んでしまっていたのだが、この間の多忙のためメモも書けなかった。
なにより、「解題にかえて」を書いているのが、僕もよく知っている、日本共産党の地方活動家・地方新聞編集者である山本晴彦さんであるのがいい。もとより専門的な研究者ではなかった彼が、加藤周一に深く密着することでどれほどのことを学んで深い見識を得るにいたったかがよく分かる。考えてみればうらやましい話である。
さて、簡単に内容について触れておくと、加藤さんが生涯をかけて何を探求したかは、2005年の中国の清華大学の講演、「私の人生、文学の歩み」に端的に表現されている。
*ただ、加藤さんが「没落華族」の生まれだと語っているところなど、少し腑に落ちないところもある。彼の父は、埼玉の大地主の息子が東大医学部に行って開業医をしていた人のはずで、爵位を持つ「華族」などではなかったと思うがどうなのだろう。中国の分類ではそうなるということなのだろうか。
加藤さんは114ページでこう語っている。・・・なぜ15年戦争のようなばかげたことを日本国家はし、日本社会はそれを許したか。「いったいどういう文化がそれを可能にするのかということを生涯かけて」答えてみよう。
加藤さんが日本文化の特徴を把握するのに使った方法はべクトル合成の考え方である。それは70ページに書いてあるが、外来の文化が日本に入ってくると日本の文化とのべクトル合成で変形される。もともとの外来文化L1のべクトルは調べると分かる。変形された結果としての現在のべクトルL3はもっとよく分かる。現在のベクトルから外来のベクトルを取り去ると日本文化のベクトルL2が現れてくる。
加藤さんの日本文化の特徴についての結論は「<今>と<ここ>を大事にする集団主義」というものだということが127ページに書いてある。
時代や国境を超えて意義を持つだろう超越的なものを信じないで、現世の利益と、仲間うちの評価を第一にするのが日本文化だ、ということである。
そこで、加藤さんは、代表的な外来文化であるマルクス主義、儒教、仏教が、それぞれ日本でどう変形されて受容されたかを解説する。
46ページで、マルクス主義の日本における受容は、第一に社会運動としてのマルクス主義を倫理問題にしてしまうことだった、と加藤さんは言う。それは結局、マルクス主義を仲間うちへの態度の問題に帰するということである。
戦前の共産党のとてつもない威信は今考えると奇妙である。スターリン支配下のコミンテルンがどれほど禍々しい、ペテンに満ちたものであったかは最近の不破さんの書いたものでもよく分かるが、その日本への反映が、共産党が非合法化されていたためかえって神格化されてしまうのである。共産党に対する態度は、それをひたすら信じ従えるかどうかという倫理の問題になってしまい、転向すれば、仲間うちを裏切ったということで人間として失格だということになる。太宰治の「人間失格」はまさにそのことを言ったのだった。
マルクス主義の受容における第二の特徴は資本主義分析理論としてのマルクス主義を、在来の日本思想と習合させることである。しかし、習合が起こるということは最初からの前提であるから、加藤さんはこれについて、この本ではっきり述べているとはいえない。おそらく丸山真男、大塚久雄などなど、マルクス主義の利用できるところを取り入れて、「いま、ここで役に立つ理論」を作ることを言うのだろう。加藤さん自身がそういう人だったかもしれない。
仏教と朱子学の受容も同様のことが言えるのだが、、加藤さんの指摘で面白いのは、67ページにあるように、徹底的に合理的だった朱子学を受容していたことが、19世紀以降の西洋の近代科学受容の不可欠な基礎になったということである。これは江戸期の日本思想が主観的で脆弱だったという見方をまったく改めさせるものであるだろう。
最後のダイコトミー(二項対立)の問題の講演は難解であるが、全体として、加藤さんを理解するうえに欠かせない一冊になっていると思うし、日本のマルクス主義受容の分析は日本共産党の常識を超えていて、とても面白いといえる。
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