« 雑誌「atプラス18号」太田出版2013年11月 「柳田国男と遊動性」柄谷行人+赤坂憲雄 | トップページ | 重田園江「社会契約論」という本を読みかけて »

2013年12月22日 (日)

Social Science & Medicine 102 (2014) の論文:「健康の選択可能性」HCと糖尿病自己管理:経済的・社会的・文化的な恵まれ方の衝撃的な影響力

藤沼康樹先生から、僕にどストライクだろうと紹介してもらったhttp://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0277953613006369

にある論文。最新のものらしいので、なんとか早めに読み終えたいと思う。

少しづつしか進まないが順次アップしていこう。題名は上のようにしてみた。

原題は

「Health capabilities and diabetes self-management: The impact of economic, social, and cultural resources」で、

カナダのオンタリオ工科大学の健康科学部の人達の研究である。

抄録

「健康の社会的決定要因」という視点は、どのようにして社会構造がその社会の健康指標の状態を形成するのかという問題を人々に探求させずにはおかせない力を持っているが、その一方で個人の能力が果たす役割を無視する傾向も生む。それと対照的に、健康における個人の選択や自己責任に焦点を向けた研究は社会構造の影響を見落としやすい。

アマルティア・センのケイパビリティ・フレームワーク(「可能な選択の幅が人々の幸福を決める」という考え方)と、そこから導き出された「健康の選択可能性の幅(ヘルス・ケイパビリティ=HC)」研究は両者の視点を統合しようとするものである。個々人は自分ではほとんどコントロールできない社会的条件のもとで生活しなければならない一方で、自分自身の健康と幸福のために能動的に活動していることを認めることがその前提である。

この論文は、その人の経済的・社会的・文化的な恵まれ方が、糖尿病に罹患した人の健康の選択可能性(HC)をどう形成しているかを研究したものである。

特に食事療法に焦点を向けた。

健康の選択可能性の幅(HC)と能力(agency)は食事療法に対して中心的な位置を占める。しかし、その前に、その人の食習慣はライフスタイルで決まり、そのライフスタイルはその人の置かれた広範な社会的条件の影響を直接的に受けて形成されるものである。

2011年1月から2012年12月まで、カナダのオンタリオの1か所のプライマリ・ケア・クリニックから紹介された45人の糖尿病を罹患した人々に面接して、彼らの経済的・社会的・文化的な恵まれ方が彼らの食事療法のあり方にどのように複合して影響するかを検討した。

回答者は、その恵まれ方について経済的資源をもとに低・中・高に分類され、どのように経済的資源、社会的関係性の豊かさ(社会的資源)、健康に関して持っている知識と価値観(文化的資源)が結び付いて、健康の選択可能性の幅と食事療法を強化したり妨害したりしているかを比較した。

経済資源の低位のグループでは経済的・社会的・文化的な要因すべてが複合的に働いて食事療法を破壊していた。

一方、経済資源中位のグループでは社会的な関係の豊かさが有意に影響していた。

経済資源高位グループでは、健康的な食事療法への意欲が最も高く、そうすることを可能にする社会的・文化的な資源の豊かさがあった。

結論は、資源の三つのタイプ(経済的・社会的・文化的)の全部の影響を理解することが、健康能力・慢性疾患の自己管理・そして健康を強化する道を構築するために決定的だということである。

初めに-健康選択の可能性の幅(Health Capabilities=HC )アプローチ

 健康は、健康を追い求めたり、健康的であろうとする人々に与えられる受け身的な機会や幸運で決まる-そういう運に付随して個人の能動的な選択がある。

人生に訪れるチャンスというものは、その人のもつ資源をより大きな社会構造で説明する一つの関数である。

個人のもつ資源と健康指標の間にある関連は詳しく報告されている(2008年の健康の社会的要因委員会=CSDHほかいろいろ)。個人的資源のあれこれは大なり小なりほかの健康関連資源に変換可能であり(たとえばフィットネスクラブの会員権、健康的な休暇の過ごしかた、体に良い食べ物、質の高い医療)、それらは社会全体の中で不均等に分配されている。

いろんな資源に恵まれるほど、それらを健康や幸福を改善するために変換する自由が大きくなる。

経済的資源がほかの資源に容易に変換されるのは普通に観察されることである。

最もわかりやすいのは資力は個人的財産のほかの形態に変換されることだ。しかし、長い年月をかければ、経済的資源は教育上の資格や幅広い交際仲間を獲得することを可能にし、生活スタイル上の幸運や選択の幅を拡大する。

これらの社会的、文化的な恵まれ方の資源は、翻って、組織上の役職や経済的な地位を手に入れるのに用いられる。

たとえば社会的な結びつきは、個人にシェルターや健康情報やそのほかの必要な援助を提供する。

同様に文化的な資源ーたとえば健康に関する知識、その知識を入手するための技法、健康に関する価値観といったものーは健康や幸福に影響を与えるのである。

経済的な、社会的、文化的資源は合体し、それ自体が社会的な格差を増強する役割を果たす独特の生活スタイルを備えた社会階級に分化していく。

この独特な生活様式というものは、生涯の社会生活の中で学習され、個人の習慣、好み、独自の傾向を明らかにし、健康行動や健康自体に影響を与える。

このように、個人の生活スタイル、健康に関連する選択や行動は社会構造に「はめ込まれ」続けるのである。

個人の「選択」がなされる経済的、社会的、文化的背景は、それを形成するより大きな社会構造を理解するための入り口である。

HC=ヘルス・ケイパビリティ(「健康の選択可能性の幅」)研究は、二者択一的な視点の統合を試みるものである。

二者とは一つは健康を個人と社会構造の関係の副産物と見、もう一つは健康を独立した個人の生活の中での自由な選択の結果と見る二つの見方である。

健康選択可能性の幅(HC)研究は、センが示したもっと一般的なケイパビリティ(選択の可能性の幅)研究から引き出されたものである。センの研究は概念的、倫理的な基礎となるものであり、別のところで詳しく論じられている。ケイパビリティ理論を用いるのと同様に、HC研究は非-要素(=制度)還元主義であり、健康とHCを複雑な社会的・制度的な文脈(それもまたこれらの選択を形成する)の関数として見る実践適用志向主義なものである。

個人的選択や動機づけをその枠組みの中に含んでしまうことにより、HC研究はしばしば個人的資源や社会経済的な状態によって厳密に決定されるものとして健康を考えてしまう研究からは無視されてしまう、個人的な決定や実践、気づきを考慮に入れることができる。

同時にHC研究は直接的でより広い社会的文脈を選択を形成する力として認識する。この選択を形成する力が いま進行中の社会生活の過程を通して、長い年月をかけながら個人の欲望や徒歩や固執に影響しているのだ。

選択すべき二者択一を別にしても、社会的な文脈というものは個人が長い時間をかけて適応すべき外部の存在があることを示している。

そうしながら各人は「特有の行動様式」(習慣)をそれぞれ発達させ、ある選択をほかのものより好むようになる。ここで、外部構造は内部化され長い年月の間に再生産されるようになるようになる。これらの関連を検討することによりHC研究は社会的文脈を個人の自由や選択や健康選択能力(HC)の幅を広げるように変えて行く道筋を探求するのである。

健康選択能力(HC) と糖尿病管理

<p>

第二に管理不良の結果は無視できないもので、無数の合併症につながり、それがまたHCを脆弱にもする。すなわち、心臓血管系、眼、腎臓の疾患、脳卒中、神経障害、四肢合併症、、精神状態不良そのほかの状態は著しくQOLを低下させ、最終的には早世へと導くものだということである。一方、糖尿病がよく管理されていれば、これらの合併症の発症は遅れるもするし予防することもできる。避けうる病気と早すぎる死亡の予防はHCアプローチの最優先事項である。

<p>

最後に糖尿病はどんどんありふれた病気になっているということである。世界的には2008年に3億4700万人に達し、年齢を標準化して補正すると罹患率は男性9.8%、女性9.2%である。そして今後ス10年増え続ける。カナダでは240万人(6.8%)以上が糖尿病とともに生きており、数百万人が診断されないままになっている。糖尿病の罹患率のこのような増加の多くは不健康な食事、身体的不活発さ、そして人口高齢化の結果と思える。さらにこの病気で苦しんでいるのは貧しい人に不釣り合いに多い、そして、生きていくための資源に恵まれない人は病状管理にあたって余分な困難に直面しやすい。糖尿病を持つ人がその中でどのようにして社会関係や選択を作り上げているかを理解することは、HC(健康選択能力)を前進させるため計画された提案を伝えるのを助けるし、糖尿病の自己管理も改善するのである。

<p>

第一に糖尿病を持つ人は病気の改善のため生活習慣を実質的に変容させなければならないが、その必要性の大きさは、上位にある人に比べ下位にある人のほうが大きい。専門家は糖尿病のある人に状態管理の最善の方法をアドバイスするだろうが、日々の選択は個人責任とみなされる。糖尿病では、規則正しい

血糖測定、食事療法、身体の活動性維持が何よりも求められる。最終的には、それはそれをなすべき「個人の選択」なのである。だが、これらの選択は個人史によって形成さるし、経済的、社会的、文化的環境で違った風に制限される。糖尿病は、健康達成度が健康能力の発達にどれだけ依存するかという鮮明な例を示すものである。健康能力とは健康目標を達成するための個人的能力のことである。

<p>

この論文は糖尿病に苦しむ人のHCを検討したものである。糖尿病を持つ人がどのようにその状態を管理しているかという研究で、HCアプローチの重要な点をいくつか明らかにしたものである。

|

« 雑誌「atプラス18号」太田出版2013年11月 「柳田国男と遊動性」柄谷行人+赤坂憲雄 | トップページ | 重田園江「社会契約論」という本を読みかけて »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Social Science & Medicine 102 (2014) の論文:「健康の選択可能性」HCと糖尿病自己管理:経済的・社会的・文化的な恵まれ方の衝撃的な影響力:

« 雑誌「atプラス18号」太田出版2013年11月 「柳田国男と遊動性」柄谷行人+赤坂憲雄 | トップページ | 重田園江「社会契約論」という本を読みかけて »