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2013年12月22日 (日)

重田園江「社会契約論」という本を読みかけて

たとえば安倍晋三という男。

この男と僕がこの社会に共存することは、とてもではないが考えられない。

彼と僕の間に、心や感情の響き合い、共感というものが生まれることは絶対と言っていいほど期待できない。

(潰瘍性大腸炎の患者としての彼への同情は消化器科医師である僕の中に自然に湧いてくるが、彼は潰瘍性大腸炎患者会の代表として政治家であるわけではない)

では、僕がこの社会に生きていくために彼を力で排除していいかというと、それはできない。

その理由は、実際には逆に彼のほうが力で僕を排除する可能性が圧倒的に高いが、それは何を考えるまでもなく許容できないので、双方とも許されないとあらかじめ言っておくのである。

では、どうすれば、力での排除なしに、共存できそうもない存在とともにこの社会で生きていくための方法を見いだしたらよいのか。

言ってみれば、僕と安倍晋三の双方が一致できるルールは可能かという問題である。

そんなことを真面目に考える意義があるのか、という質問には、そのことに一生をかけた人がいるとだけ言っておこう。すなわちルソーやロールズである。

ルールはまず、具体的存在としての僕と、この社会の一般的存在と仮定した別の僕との間に結ばれる約束として始まる。言ってみれば、格別の存在でなく、もしかするともっとも弱い存在であるかもしれない僕が、もしかすると権力者であるかもしれない僕に対して、こんなことは絶対しないでほしいということの合意を取り付けることである。

そこに考え抜かれた合理性があれば、全ての人はそれを受け入れる理性を持っている、というのがそのときの前提である。

そして、みんながある程度安心して従うことのできるルールが出来上がる。

その理性を熟議deliberationに基づく理性、あるいは、公共的理性、カントのいう実践理性とよぶ。

もしその理性を持たない存在がいたらどうするか、は難問である。安倍晋三がそうである可能性も高い。そういう男が権力者になってルール違反を平気で始めたとき、レジスタンス行動が必要になる。

考えてみれば、歴史はルールを破る階級とルールを作り、守ろうとする階級の闘争の歴史だった。

ルールが熟議に熟議を経て考え抜かれたものでなければならないのは、その闘争の際、味方を可能な限り増やすためである。

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