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2013年12月17日 (火)

総合診療と精神科

ある過激な総合診療科の指導的医師は、「日常診療の大半は総合診療医に任せることができる。彼らの手に余るわずかな部分に対応するために、すべての専門医は急性期大病院に結集させておくべきだ」と考えている。

循環器科や消化器や呼吸器科、、さらには精神科、小児科などの専門家は開業医レベルには必要ないというわけである。彼らの開業医としての仕事は、十分訓練された総合診療医なら難なく遂行できるからである。そういう専門家は開業して経営問題で煩わされたりすることなく、急性期病院で絶えず技術研鑽に専念すべきなのだ。

なんというクリア・カットな主張だろう。もちろん、当面の現実性はないから、そういうことを言う人もいる、という感じで受け止めておけばよいのだが、それは原理的に間違っているという意見を正面から展開する人もいる。

小病院で精神科外来を開設して苦悩するその人の主張は「イギリスにおいて総合診療医の存在が成果を上げたという唯一のエビデンスには、重要な前提がある、それは精神科医との日常的な協働が存在するということだった」というものである。現時点でその論文を読んでいないので、私の伝聞としてのみの話であるが。

総合診療医と精神科医の日常的協働の重要性という彼の積極的主張には、しかし、苦い現実的な背景があっただろう。

それは、中小病院に、病棟を持たない外来のみの精神科が設置された時のさまざまな困難・混乱であり、その結果、失意の精神科医が撤退することがあいついでいるほどのものである。

中小病院を訪れるレベルの患者では、精神的な問題のみ、あるいは精神科疾患合併の慢性疾患患者が大半を占めるので、精神科医にそれをいつでも相談できるというのは大きなメリットである。

しかし、問題は精神科があるということで、薬物依存、せん妄、BPSD、自傷、自殺未遂などの患者さんが外来に激増することである。その結果、精神科病棟は持たないとは言っても、実際は精神科医が主治医となるべき患者の入院も増える。

精神科医が病院にいる時間は原則8時間だけなので、残り16時間のそういう患者への対応はそれ以外の病院メンバーの責任となる。

前者のメリットだけに注目して精神科を開設した場合、後者の事態は災厄でしかない。「精神科がなければ地域の他の一般病院に比べて自分たちだけがこんな厄介な患者の相手で疲弊させられることもないのに」という怨嗟の声は当然上がるだろう。

これは、もちろん精神科開設のさいの最初の合意が不十分で、その後の病院全体の精神科的力量向上の努力がなされなかったためである。

特に病院全体の精神科的力量向上の努力こそ、病院全体が総合診療ー医療の実践の場であることの保障となるものである。それを欠いて、総合診療ー医療の前進という目標を掲げること自体が矛盾、あるいは自家撞着と言っていいものである。

当面の結論としては、精神科医は急性期病院、専門病院の中に閉じこもるべきでなく、やはり地域で総合診療医のそばにいるべきである、総合診療医も精神科医とパートナーにならなければ存在できないということになろう。

似たような存在としては歯科医がある。歯科医をパートナーにしない総合診療医も考えられない。・・・小児科についてはもう少し考えてみる必要がある。

そういうわけで、あるべき総合診療-医療の姿は、総合診療医+精神科医+歯科医を欠かせないものとするだろう。

そのほかの職種は言わずもがなである。

今後、総合診療-医療の構想を考える部門は、全国的な医療団体には必須のものとなる。

医科ー歯科連携を特長として打ち出している保団連は組織全体としてその準備が既にある程度備わっていると言ってよい。

民医連はどうだろう。総合診療医、精神科医、歯科医、小児科医、各種看護師、栄養士、ケースワーカー、介護士、歯科衛生士、リハビリセラピスト、安全・倫理・連携の担当者などを横断的に揃えた部会機構を新たに作らなければならないのではないだろうか。

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