生活モデルの飛躍性・・・Moira Stewartの ’Patient Centered Medicine’を読みなおし始める
出張帰りの日曜日にはしっかり日直が割り当てられている。東京で国会前デモなんかに出て「遊んで来た」のだから日曜ぐらいは働きなさいよという、病院の皆さんの暖かい配慮である。
正直なところそうでないと、臨床的な勘が保てなくなるのだ。
そこで、日直ならではの試みとして、かつ格別な理由があって、Moira Stewartの ’Patient Centered Medicine’初版(1995年)を読み返すことにした。
一度数年かけて精読して(最後には本がボロボロになって製本屋さんにハードカバーに作り直してもらったので数千円余計な費用が発生したのだ)、分からない単語はすべて辞書を引いて書き込んであるので、それほど苦になる仕事ではない。
しかし、序文からこう書いてあったのに、驚いた。南アフリカのLevensteinが書いていることである。
この学問の創始者McWhinneyは体と心の二元論を説くデカルト的発発想をやめようと言っているだけでなく、bio-psycho-socialの三元論も捨ててしまおうと言っていたのだと。
3つの領域に分けて考えるのでなく、日常診療の現場では絡み合って分離できないものとして全部を同時見渡さなくてはならないので、そういう分析的な概念はかえって邪魔だというのである。
この一行を読んで僕は快哉の声を挙げた。
(医学)生物学モデルから(医学)生物心理社会モデルへの進歩と、治療(キュア)モデルから「生活(ケア)モデル」への進歩には微妙な違いを感じ、biopsychosocial modelという言葉のほうは使わないほうがいいと最近考え始めていたからである。
「生活モデル」には飛躍があり、「医学生物学心理社会モデルbiopsychosocial model」には機械的思考の凡庸さが付きまとう。
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