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2013年12月13日 (金)

鰻屋政談は日本の医療を動かせるか

いまは月に3回になってしまった診療所への出務。

着くとすぐに、診療所から少し離れたところに開業して、誠実で丁寧な診察をしているY先生の話題を聴く。

僕よりいくつか年上で、商家の出身ながら口下手で、医師会の役職にもつかず、目立つ社会的発言もしないが、技術水準を保つ努力が常にうかがわれる。時折、医師会報に家族旅行の記事を載せる。開業先で実家もそこある商店街によく溶け込んで、最近、頼み込まれてディ・サービスを始めたという。

こういう人生が僕にもありえたのだ、とふと思う。

いつも心が騒いでいないとだめだったような40年弱で何を残したのだろう。満足できるものは何もない。

・・・何もかもこれからだ。あと40年医者を続けることができれば何とかなるだろう。

先週、ちょっと思い立ち、東京での会議の帰りを飛行機にしないで新幹線を使い、名古屋に途中下車して会った二人の青年医師との雑談を思い出す。

一人は僕の病院で初期研修を終え、名古屋第二日赤の野口先生の弟子になったY君。もう一人は、名古屋の大学を卒業して、そのまま愛知民医連で研修を続けている僕の次男。この二人は高校の同級生でもある。

名古屋駅の地下街にある鰻屋で、これからの医療のありかたについて三人で話す。

総合診療の定義と守備範囲を明確にしながら、それを日本に定着させていくにはどうしたらよいか。

2時間近くしゃべり通しだったが、この三人で日本の医療の何かが動かせるわけではない。床屋政談ならぬ「鰻屋政談」である。

しかし、ここからしか始まらない何かはある。

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