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2013年11月12日 (火)

高橋昌一郎「小林秀雄の哲学」朝日選書2013

僕は中学・高校の6年間、小林秀雄にどっぷりつかって過ごしてしまった。

20歳くらいになって、その全体が胡散臭く思えはじめ、以後ほとんど手に取ることがなくなった。

すこし、話がそれるが、加藤周一さんから、実は加藤さんが戦後の相当早い時期に書いたドイツのナチス協力者だった医師詩人ゴットフリート・ベンへの批判が本当は彼の小林秀雄批判の始まりだったのだと打ち明けるように聞かされて、加藤さんのような人でも遠慮する相手なのかと意外に思ったことがある。

その後は本書124ページでも取り上げられている『私にとっての20世紀」などで明確な小林批判を展開されたが、すでに小林は死亡した後だった。加藤さんの小林に対する態度は僕の加藤さんへの思いを少し陰らせる。

さて、今回、小林秀雄心酔者でいながら比較的冷静な立場で彼の一生を描いた著者の上記の小さな本を見つけたので2日間でさっと読んでみた。

引用されている文章も子どもの頃以来なじみ深いものだったが、やはりだめだった。いい加減なことが、大げさな身振りで述べられているにすぎない。

小林の日常の描写から見えてくる彼の人間像は惨憺たるもので、アルコール依存患者の振舞いにすぎない。多くの人を泣かせたという

「だからてめぇは大馬鹿野郎なんだよ」

という口撃は私の尊敬する高柳 新元全日本民医連会長を思い起こさせる。同じ言葉で僕も何度か罵られたからである。そのため二人がだぶって感じられることもある。

いくつか興味深い記述もある。

①1938年文芸春社秋特派員として中国を回った時書いたものの中で従軍慰安所を描写した部分が日本軍の威信を大いに傷つけたという理由で検閲で削除されたとのことである。ただし、小林は検閲側の説明にあっさり納得している。

②それでも対中国戦争には懐疑的で、東亜共同体論など信用できないと言っていた。満蒙開拓青少年義勇兵の訓練所では涙を流している(140ページ)。それが1941年の対米英開戦で、一挙に懐疑論、不快感が解消されたというのは、当時のインテリの大半の反応である。その決定版といえる1942年の文学界10月号座談会「近代の超克」にも参加している。

戦前の日本の知識層が対中国戦争には正義の戦争という確信が持てずうっ屈しながら、対米英戦争でついに大義を得たと言う気持ちになる経過は興味深いが、これはまた別の時に書いてみたい。

読み終えてみて、無駄な時間を費やしたという思いとは別に一つの発見があった。僕の文章自体が、小林秀雄の影響を骨がらみに受けていて、非合理性、非論理性、飛躍、変な反権威主義が抜けきらないということである。実はそのことと僕が文章を書くのを好むことが切っても切り離せないのだから困ったものだ。

人生の初めに変なものに引っ掛かれば一生を無駄にする、というよい例を自分自身で示しているのかもしれない。

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