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2013年11月 4日 (月)

「三重の円」再論

(休日の日直中の手すきの時間に・・・この但し書きは、「先生は仕事をしないでブログ記事ばかり書いているのでしょう」という同僚医師の妄言(ごめん!)があったからである)

三重の円

2010年4月2日のこのブログに僕は次のような文章を書いて、そこで「三重の円」という言葉を用いている。その発想は、2010年のさらに数年前にさかのぼるが、文章にしたのはこの時が最初だったかもしれない。

『2010/4/2
女優の山本安英さんの「女優という仕事」岩波新書1992のなかでもっとも強く印象に残っているのは、「二重のマル」の話である。ただし、ずいぶん昔に読んだので、正確ではない。こういう表現ではなかったかもしれない。いま手元にその本がないので、記憶に頼って書いてみる。

劇場のどんな条件の悪い安い席にも台詞がきちんと届くことを考えて、山本さんは上演前の空っぽの劇場の舞台の上に立って発声してみる。そのとき、劇場を一つのマルだとしたら、劇場の外に広がるもう一つのマルを考える。それは、劇場に来たくても来れない人たちを包含するマルである。ここにも自分の声が届くようにと願って発声してみる。そうして初めて小さな劇場の隅々までようやく自分の思いを届けることが出来る。これを山本さんは「二重のマル」と呼ぶ。

この話は病院にもそのまま当てはまる。

病院を訪れる全ての人に注意が行き届くようにすることは当然である。これは一番小さな円に相当する。

しかし病気になりながら病院に来れない人のことをいつも考えておかないと、地域の健康の守り手と自分を呼ぶことは出来ないだろう。これが外側の円に相当する。

この外側の円の中にいる人こそ、いまこのとき私たちの援助を最も必要としている人だからである。

これまで、この話を新入職員歓迎の挨拶に時々取り上げてきたのだが、この2年間、社会疫学を学ぶ中で、さらにもう一つ外側の円が必要で、そこにこそ国民の本当のニーズがあるのだと思えてきた。

それは、貧困、劣悪な成長環境と教育、ストレスに満ちた労働や失業、要するに社会の不公平・不平等のなかで健康と生命を失いつつありながら、それを健康や医療の問題と気付かない、この国の大半の人々を包含するもうひとつ外側の円である。

理事長たるもの、できれば、毎朝の診療開始前の早い時間、誰もいない待合室に立って、自分の心の声がこの3重の同心円の隅々まで届くよう挨拶して、一日の仕事を始めたいものである。』

わざわざ、古い文章を持ち出してこの話を書いたのは、いま全日本民医連で準備中の11/30-12/1に開かれる「医療活動・医師養成方針検討会議」の問題提起の文章中に、だれが書いたのかは教えられていないけれど、まったく同じ「三重の円」という言葉が出てくるからである。

そこでは、最も内側の円が健康権、その外側の円が医療の質の向上、さらに最も外側が貧困・格差と闘う日常医療活動とされている。

分かりやすくするために医療の質の向上をより本質的に「地域住民の医療参加」と言い換えて考えれば、上にあげた2010/4/2の僕の文章を、ちょうど裏返しにしたものになる。

すなわち、僕の文章は実践からスタートする立場、問題提起はより哲学的なところからスタートする立場で、全く同じ意味で医療活動の発展の構造を描いたものである。

民医連で働く医師が、こうして全く独立して考えながら、同じ表現にたどり着くことはある意味当然のことのようだが、心が震えるような出来事でもある。

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