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2013年11月18日 (月)

コーチングも、患者中心の医療も、質的研究の中から生まれた。民主的に改善を積み重ねようとしている職場は、質的研究を続けている職場である。その代表が看護研究だといってもよい。

南アフリカの家庭医レーベンスタインの診療スタイルを研究し感嘆して、マックウイニーやモイラ・スチュアートの「患者中心の医療」が生まれたというのは有名なことだが、実は、それは偶然のことではなく、この二人は、これはという優秀な家庭医療医を選んで、その生態を研究し続けてきたのである。

(それは、結局、文化人類学に等しい。言って見れば医師を対象にした医療人類学というべきだろうか・・・野田)

なぜ、彼らは民医連、なかんずく僕を観察しに来なかったのだろうと思いながら、藤沼先生の話をきいていると、一方でどこかで似たような話を聞いたなぁと思った。

以下は2008年10月6日の僕のブログの記録である。

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研究には①仮説を立て、それを量的に証明するもの と ②仮説を創るためのものとがある。 前者が量的研究で、後者は質的研究と呼ばれる。 世間で「研究」と言えば圧倒的に前者である。 しかし、良い組織を作るのは後者である。

それに関連して私が数年前の全日本民医連院長会議に参加したとき、聞いた話がある。

「コーチングの研究は、『native coach 生まれながらのコーチ』の行動様式を観察することから体系化されてきているらしい。  

あるドジャースの監督は選手としてはほとんど業績はないような人だったが、名監督だった。彼の膨大な手帳は、選手の行動に関する偉大なデータベースだった。

『ボブはヒットを打ったのでgood と言って誉めたがにこりともしなかった。次にwonderfulと言うとにやりとした。彼にはこう誉めるべきである などなど』

「良いプレーをした場合でも、誉め方はその人に合わせなければ意味がない」という仮説を監督は創り、長い実践の中で精緻化していたのである。

これが「native coach 生まれながらのコーチ」のふるまいである。

ある研修医が、「ご苦労さん」とトップの医師から言われても、それを言うことで自分のトップとしての地位を誇示しているような権力感丸出しの言われ方では、けっして心に響かないと言っていたが、この監督はそういう部下の心理を自然に知っていたのだろう。

彼にとっては、他人の意見には受容的であるのが普通であり、「それは違う!」などという断定的否定の言葉はまず聞かれなかったことだろう。

また職員にこれほどの興味を抱くのがトップの仕事ではないか?部下と対等な関係を持てず、興味も持てない人は私たちのトップにはできないだろう。

それはともかくとして、ドジャースの監督がしていたのが、質的研究の典型である。

コーチングとは質的研究の代表である。

ある条件の患者にはどうすればよいかに関する仮説を日々の実践の中で無数に抽出し、それを検証し続ける、精緻化する組織こそが研究する組織であり、進歩する組織である。

僕たちにとってはその研究の代表が看護研究だといってもよい。

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話題が錯綜したが、ここで結論を述べよう。コーチングも、患者中心の医療も、質的研究の中から生まれた。

民主的に改善を積み重ねようとしている職場は、質的研究を続けている職場である。

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