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2013年11月15日 (金)

民医連 韓国医療視察ツアーのまとめ 「韓国で出会った言葉と、考えたこと」

以下は、今月の全日本民医連理事会で私が行なった韓国医療視察ツアーの報告である。写真は省略するが、まとめてみると、私のささやかな旅行歴の中でも最も重いものだったことが改めてわかる。

1:韓国医療視察ツアーは12人の参加で行いました。うち青年枠は4人です。
実質10月27日から30日の4日間でしたが、極めて豊富な学びに満ちたものとなったと思います。

今日は、私がその中で出会った印象的な言葉とそれから考えたことをお話しして、報告に代えたいと思います。

2:1日目は、韓国の現代史を知り、考える日でした。それは、韓国を鏡にした日本の歴史を発見する日でもありました。

まずソウルから北に向かって国の分断の現場にいきました。向こうに北朝鮮の集落を見ることができる統一展望台、北朝鮮に向かう鉄道新義線の鉄橋がかかる「水清き」イムジンガンです。その横は朝鮮戦争で破壊された橋の跡です。

3:韓国に行く前に私は岩波新書の「韓国現代史」を読んだのですが、そのとき、私が独立して思っていたのと同じことが、ガイドをしてくれた作家の金さんの口からそのまま語られたので驚きました。

私たちは、分断された韓半島を、生まれる前からそうだった、当たり前のものと考えて安閑としているのではないでしょうか。

東西ドイツの50年近い分断を思い出せば、ドイツの同盟国として戦争の主役だった日本こそが分断されたり、内戦の場となって、敗戦国としての苦しみを経験しても仕方がなかったのに、歴史の偶然から、その筆舌に尽くし難い不幸を韓半島に肩代わりさせしまったのです。

それは韓国を見る時、絶対に忘れてはいけない視点だと思います。

4:次に行ったのは、ソデムン刑務所博物館です。

韓国独立運動を日本帝国主義が残酷に抑圧する現場として1908年、日本によって建設された韓国最初の近代式の刑務所です。

1953年の朝鮮戦争休戦、1960年の学生革命、その後の反共軍事独裁時代には民主化運動の闘志たちを拷問、処刑する場となりました。

私たちが物心ついてからは、韓国は、軍事独裁の恐怖政治の国でした。

5:その中でも、私たちが李恢成の小説「見果てぬ夢」などで伺い知っているのは「第二次人民革命党」事件です。

地方都市テグの喫茶店に学生たち数人が集まって、韓国にも北朝鮮と違う韓国土着の社会主義が必要だと世間話として話し合っていただけで、共産主義政党設立を図ったとして23人が逮捕されて、うち8人が死刑判決が確定するや、その翌日早朝までに全員が死刑となりました。

この写真は、そのうち一人が、右奥に残っている絞首刑場に向かっている有様を表現した銅像です。かれは、ふと後ろを振り返っていますが、何を見ようとしたのでしょうか。残して行こうとしている祖国の未来に分かれを告げたと言われています。

6:ボランティアでこの博物館のガイドをしている青年は、韓国は1997年、自らも死刑囚脱退金大中キム・デジュンが大統領になって以来、1件も死刑は執行されず、事実上の死刑廃止国になっている事を強調しました。

実に死刑の27%が政治犯であったことへの痛切な反省がそこにはあると思えます。

7:「歴史を振り返って平和を建設しよう」という大きなポスターが、この博物館の外壁に貼ってありました。誠実に謝罪しているドイツのメルケルやブラントと、挑発を繰り返す麻生、安倍、橋下が対比されています。1週間前にここを訪ねている田村先生によると、ハジモトと書いてあるとのことです。韓国の人々はこうやって鋭く日本を眺めているのです。

韓国の軍事独裁政権を経済的に支えたのは日本政府であり、その援助のもとでベトナムやイラクに韓国軍が出兵して、とくにベトナムで残虐の限りを尽くしたのは有名です。日本の自衛隊が、憲法9条のおかげでこれまで1人の外国人も殺さず、1人の戦死者も出していないと私たちは強調しますが、それは、韓国軍への肩代わりで初めて可能になったことだという側面にも目を向けておくことが必要だと思います。

8:この刑務所博物館は最近展示を大きく変えて、1960年から87年まで続いた、反共軍事独裁政権の悪事を正面から告発するものになっています。これは、金大中大統領、盧武鉉大統領と続いた民主的な政権成立の影響だと思えます。

1987年にこの刑務所は閉鎖されますが、この80年間はまさに自由と平和のために闘われた80年間でした。私たちも隣の国にいてその流れを継ぐものになろうという決意を込めた記念写真です。

9:そのあと、ソウル中央高校の歴史の先生から、焼肉屋を借りて韓国の現代史の講義を受けました。

10:そのなかでは韓国にも右翼教科書が現れて、植民地時代を近代化と美化し、軍事独裁政権時代を経済成長期と美化しているという話が印象に残りました。

日本の右翼教科書は、1910年の韓国併合を日韓の対等な話し合いで決まったものとしますが、韓国の中にもそれを肯定するような右翼が育っているのに驚きました。

日本の右翼も、韓国の右翼もいずれも歴史をゆがめて、結局は現在の支配者である資本主義を正当化する点で共通しているわけです。

歴史を偽造する共通の敵がいることが垣間見えた話でした。

11:一日飛ばして、翌々日は、ソウルの南東の山間にある、従軍慰安婦だった女性たちの共同生活施設 ナヌムの家に行きました。

写真のような面会室で20分ばかり交流しました。その中で、1人の女性が日本語で安倍はどうして私たちのいうことを否定するのかと話しの口火を切ってくれました。

私は、その時すぐにふさわしい返事ができなかったのですが、あとで考えてみるに、安倍首相は第2次大戦を起こした日本が誤っていたとは思っていないに違いありません。負けた事だけが悪いだけで、全体としては正義の戰爭だったと思っているので、それを真っ向から否定する従軍慰安婦の存在は否定し続けるのです。それは、すでに何度も精神的に殺されてきたこの女性をもう一度殺す事になるのだなどという事には思い至らないわけです。

この視察ツアーの中でもっとも胸を締め付けられたのは、従軍慰安婦たちの回復プログラムとして続けられている絵画教室で書かれたこの絵です。題は「咲ききれなかった花」とされています。その意味は説明するまでもないと思いますが、もう一度この花を踏みにじっているのが安倍政権だという事も明らかです。

12:話しが前後しますが、その前の日の夕方は、韓国を代表する大病院のソウル大学病院で、病院経営が営利的になり過ぎていることを批判するストライキに参加するという機会をえました。

満場の拍手をあびて、みんなが壇の上に上がり、山本淑子事務次長が、差額ベッドを決してもたない民医連がこのストライキを支持すると挨拶して大喝采でした。

13: その時かかげていたパネルです。民医連の一員であることが本当に誇らしい一瞬でした。

14:そのあと、韓国保健医療連合のお二人から、100万人デモを何度も繰返したという韓米FTA反対運動の話を聞き交流しました。

TPPは、日本を目標にしたグローバル大企業の主権乗っ取り計画であり、参加12カ国全てに大きな被害をもたらすもので、日本での闘争が、メキシコやブルネイの貧しい子どもの未来を救うことにもなるということを話し合いました。

15:ウ先生は素晴らしい理論家で、ヒエンさんは素晴らしいアジテーターでした。

16:ここで、私たちは新たな共通の目標を確認し、絶対に実現しようと約束しました。

敵がグローバル企業なのだから、私たちも国際的な統一戦線を作らないと勝てない、2014年秋に東京でそのための医療人の会議を開こうということです。

とくに、アメリカとのFTAで公的医療の7割を失ったカナダや、これから被害が顕在化してくる韓国やオーストラリアとの協力は大きな意味を持ちます。アメリカにもTPPに反対する医師グループが存在し、連絡がとるのは可能だとのことです。

17:話は元に戻ってナノムの家を訪問したあと、ソウルの東側の貧しい地域にある グリーン病院を見学しました。

18:場所はこのあたりです。中浪区というのは人口40万人ですが、ソウルの特別市に25ある区の中で2番目に貧しい地域で、病院に行く道となる商店街も昭和の40年台の日本の街のようでドブの匂いがしているようなところです。

19:その病院の会議室で、人道主義実践医師協議会に加入している李医師から、韓国の医療情勢のレクチャーを受けました。

20:韓国は単独の健康保険に全国民が加入していますが、その制度は極めて脆弱で、自費診療・混合診療が大きな役割を占めているので、医療費全体の実に5割強は患者負担です。歯科では8割3分にもなります。
日本が3割前後なので、この数字がいかに大きなものであるかお分かりかと思います。

韓国の病院は圧倒的に民間優位で9割に及びます。公立病院は1割に過ぎません。

自費診療あるいは、混合診療が主流のなかでは、病院間の競争の主戦場は、自費診療、混合診療の場となります。

グリーン病院も365床、医師45人の大病院であり、活発に手術している脳外科と消化器科外科を主力として、その競争の只中にありますから、こういう環境下では、非営利の病院が発展することは極めて難しいと思えます。

逆に言えば、日本の非営利病院としての民医連の存続は、充実した国民皆保険制度が生命線だということになろうかと思えます。

したがって、韓国に民医連が今すぐ誕生するかというとその道は険しくて、現勢700人、人口比でいえば、日本では1600人に相当する、個人加盟の人道主義実践医師協議会や、それと同様な職種別協議会が集まる韓国保健医療連合というネットワークが当面は運動の主力にならざるを得ないのではないかと思えました。

ただ、民医連が,健康保険制度が影もかたちもない1953年から民主診療所として独自の発展を開始したことを考えると、格差が日本以上に激しくなっている韓国で同様の診療所が各地に出来ることはけっしてあり得ないことではなく、ロマンを感じさせられるものだという気も強くしました。

21:最後の日は、1992年から日本大使館前で毎週行われている、従軍慰安婦を制度化したことについて日本政府に謝罪を求める水曜集会に参加しました。被害者のハルモニを囲んで実に1098回目を数えるものです。
22:最後の言葉は、この集会で挨拶した民医連の青年職員 伝田さんのものです。

この旅行のなかで、歴史を知らない日本人であることが恥ずかしくなってきた。ナヌムの家に行くのも、加害国の人間としてどれだけ嫌がられるかと思うと恐怖感があったが、しかし、ハルモニたちの優しい手で迎えられると、韓国と日本の共同の闘いの展望に勇気が湧いてきたというものでした。

これが、このツアーの結論でもあろうかと思います。
ご静聴ありがとうございました。

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