夢の架け橋、あるいは夢のかけら
僕たちの運動に後継者がなく、40年近く続いたこの地域での運動もまもなく終焉を迎えるのではないかとさえ思える。
あれほど憧れた「日本革命」とは、権力奪取だとか生産手段の社会化だという抽象的なことでなく、要するに、戦争と貧困から解放された日本を作ることに他ならなかったし、その必要性やそのための国際連帯の展望はますます深まっているのに、心を同じくする次の世代が現われない。
革命と日々の仕事を結び付ける架け橋がないのだ。
たとえば、それは毎日のように集まって議論することなのだ。そこから街頭行動も生まれてくる。
それがもはやない。
会議といえば、ひたすら用意された文書の字面を負うことを強制される場であるし、したがって街頭行動もどこかで計画されたものに参加するだけである。
だが、思いだしてみれば、僕らがこの運動を始めた時もそんな会議はなかったし、自由な街頭行動もあったためしはない。
そんな架け橋を夢想し始めたこと自体が僕たちの成熟の証拠なのかもしれない。
途絶えがちの夢の架け橋をつないでいくような仕事、あるいは夢のかけらを組み合わせていく仕事がようやく自分のものになったと言えるのではないか。
だとすれば、ここから僕の仕事が始まるのである。
若さに臆することはない。
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