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2013年11月29日 (金)

内田 樹+石川康宏『若者よ、マルクスを読もうー20歳代の模索と情熱』 角川ソフィア文庫2013

深夜に病院に呼び出されて患者さんの臨終を見届け、死亡診断書を書き、そのあと霊柩車の到着を待つ間に、最近読み終えた上の本の短い感想を書いておこうと思ったものである。

ひたすら眠いのと明日の仕事への影響への懸念でまともなことは書けないのだが。

かもがわ出版から刊行されて評判になった時は読む気にならなかったのに、文庫化されると読んでみようと思ったのはただの吝嗇に過ぎない。

高校生向けの案内書とされているが、成功しているのだろうか。もう高校生ではないので分からない、としか言いようがない。

ただ、それほど面白おかしくは語られていない。「ドイツ・イデオロギー」の説明の部分などはたいてい敬遠されるだろう。しかし、むしろそのほうが二人の人柄が現われていて好ましい。

①一番面白いのは、「マルクスの文章の持つ『麻薬性』」について内田が語る部分である(50ページ)。

論理の飛躍が、読者に浮遊感や全能感を与えるところが魅力だとしている。

これは、最近読んだ小林秀雄に関する評伝(高橋昌一郎「小林秀雄の哲学」朝日選書2013)の記述に一致するではないか。

マルクスの魅力は小林秀雄の魅力と同質のものだ、といわれているようである。

しかし、小林秀雄はいかにも底が浅く、すぐに化けの皮がはがれるが、マルクスはどこまでも深いという違いはあるだろう。

②次に面白いのは、ドイツ・イデオロギーの中の有名な一節「朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批判をする」という分業廃止から望まれる人間像が資本論では否定されて、目標は分業からではなく、労働からの人間の解放だいうことに変わる、というくだりである(178ページ)。

③さらに「共産主義は現実が従う理想ではない。われわれが共産主義と呼ぶのは現在の状態を廃棄する現実的運動である」と論じていくところ。(同)これはアマルティア・センのジョン・ロールズへの批判に通じる。

ただし、制度確立と運動は循環しており、鶏と卵のようなものでセンとロールズの間にどれほどの違いもないという言い方も可能だと最近の私は思っている。

④208ページで内田が「物語」という言葉を使っているのも見逃せない。

人間と人間の間でやり取りされるのは物語だということである。

そこで言われていることを僕流にまとめてみると、現実と物語の間には

「A君の現実-物語A-(それを聞いてB君の中にうまれるもの)物語BーB君の現実ーA君の現実その2・・・」 という循環が成り立つということである。

まるで「貨幣Aー商品A-それを用いて生産される商品B-貨幣Bー・・・」という循環だ。

しかし、ここで強調されているのは、現実と物語の関係と区別をきちんと見据えるということが、人間が論を立てる、あるいは評論するということなのだということである。

「ドイツ・イデオロギー」もそういう評論であった、と内田は強調している。

⑤思うに、マルクスの読み方の良い順番というものはどこかにあるはずだが、まだ誰もそれを見い出していないのだろう。そのことがなんとなく分かる本だということである。

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