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2013年10月 1日 (火)

へき地の高齢者介護に直面する

広島県北の養護老人ホームに入所して、記憶力も驚くほど保たれていた94歳の伯母を僕と僕の息子夫婦が訪問に行った2日後、その伯母が昏睡状態で自室に倒れているのが発見されたという知らせが入った。

僕たちが帰るとき、田んぼの中の養護老人ホームの玄関に立っていつまでも手を振っていた小さな姿を思い出すと僕はいまでも平静を失うのだが、伯母は近くの病院に運ばれて、救命され少しづつ意識が回復してきた。

「CTではまだ所見が現れず、発症から3時間経っていないのだけど、何分にも高齢なのでtPAの適応ではないと思うのですが」と脳外科医である主治医から僕に電話があって(それは伯母の弟にあたる父が主治医に依頼したのだった)、「ペースメーカーも入れているし、おそらく広範な脳塞栓だろうからそのまま保存的に治療してほしいと」と僕は答えた。

しかし、問題はその後である。完全な左片麻痺で嚥下もできないため栄養をどうするか、その上で3週間の急性期入院後の入所先をどこに決めるのかという話が持ち上がってきた。

広島でも最も人口密度の少ないへき地での高齢者介護という問題である。

困難はその話を全部引き受けるのが、その病院から20Km離れているところに独居している84歳の僕の父親だということである。伯母にはそのほかには誰も頼るべき身寄りがない。

今日の夕方、父から相談の電話があって、僕としては「経鼻胃管で栄養してリハビリを続ける」「今後かかる自己負担費用は父自身が後見人となって伯母の預金を当てるといいのではないか」という意見を述べたが、これが父には全く伝わらない。やがて彼なりの論理が延々と展開されて、僕が口をさしはさめない話が続いた。僕はだんだんやりかけたままの病棟での仕事が気になり始めた。

長い電話を終わって、病棟の仕事に戻ると、急に自分のいらつく感情に恥を感じた。

どんなに心細い思いを、妻(僕の母)もとうに失った父がしているだろうと思ったのである。

それに、伯母の入院している病院では、隣の山口県で医療生協の理事長をしているという甥が一向に姿を現さないことにおそらく不審の念を抱き始めているだろう。

しばらく、顔を手の中に埋めて、いろんなことを考えた。

その暗闇の中では、いつまでも施設の玄関に立って手を振っていた小さな老人の姿と、明かりもつけず頬杖をついて一人きりで考え込んでいる老人の姿が何度も現れた。

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