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2013年10月31日 (木)

韓国に民医連が生まれる日はあるだろうか

ごく僅かな滞在と、ごく少数の人々への接触だったので、ほとんど信頼性のない発言になるのだが、それでも僕がこの問題について何か記録しておくとすれば今しかないのであえて書いてみる。

接触した人々こそ、少数とは言っても、標記の問題を考える上でのキーパ―ソンだったから、大きくは外れない気もする

なお細かな数字は間違っている可能性が大きい。今後訂正していくつもりでいる。

結論から言えば、困難はきわめて大きい、しかし、その困難こそが可能性の根拠だということになる。

困難は、韓国医療の構造が、土台に自由診療・混合診療を置き、その上に形ばかりの国民皆保険がのっかっていると言っても過言でないところにある。

健康保険がカバーする部分は項目数で見て医療全体の6割でしかなく、その上健康保険の中での患者負担は4割と高い(日本は2割弱)。

健康保険に加えられる医療行為や薬剤は年々増えているが、それと同等のスピードで健康保険外の医療が拡大している。したがって、ここ10年、健康保険がカバーする割合は変わらない。

その結果、保険外診療を含めた総医療費への公的支出の占める割合は5割未満で、患者負担率が5割強になる(日本では3割と推定されている)。

少し見方を変えると、「混合診療」、すなわち健康保険と組み合わせ可能な保険外医療の負担が患者負担の60%を占めている。

その60%の内訳は以下のようである。

○選択診療費20.8%

これは大学病院の教授など専門医の診療を受けるための費用である。大学病院では教授が乱発されているので、教授以外は選択できず、選択とは名ばかりになる。

○上級病室費15.1%

いわゆる差額ベッドである

○超音波検査費13.2%

何と超音波が保険採用されていないためである。

その他11.9%。

なお歯科に限っていうと患者負担率は83%に及ぶ。

その国の医療の全貌をつかむことはまずできないので、部分的な数字が入り乱れてわかりにくいが、簡単に言ってしまうと、一本化された国民皆保険制度はあるものの、その制度はきわめて脆弱で、医療費の半分は患者負担、そのうちの60%が混合診療の自費部分で占められるということである。

健康保険料まで加えると、庶民の医療費負担はきわめて大きい。

少し重い病気になると家を手放さざるをえないというのが普通のことになっているということである。

そして、ここからが、韓国に民医連が生まれるかどうかを考える上で重要なことを述べることになる。

韓国医療の9割弱は私立病院によって担われ、公立病院は1割強である。

病院間競争が激しいが、その主戦場は、保険診療ではなく、保険外の診療部分である。

レストランのシェフ宜しく、院長の顔写真を大きく掲げた病院の看板が多く見られるのもそのせいである。保険外診療の優秀さをアピールして患者をひきつけないとたちまち経営が困難になるのだ。

そういう宣伝に影響されて、国民の大病院志向には著しいものがある。そこで、大病院はますます保険外診療の充実に努めるという悪循環が生まれる。

そういう状態がいったん出来上がると、健康保険を充実させようという運動は病院側からは出てこなくなる。

医療そのものが社会格差→健康格差の再生産を積極的に遂行してしまうのである。

こういう構造のなかでは、「命の平等」をうたう民医連が生まれ、安定した経営基盤を築くことは極めて困難である。

逆に言えば、健康保険の充実こそ民医連の命綱だということになる。混合診療の中では、民医連、あるいは医療の本来ある姿は成長の芽を摘まれるのである。

したがって、現在の韓国では、そういう状態を変えようという運動は、あちこちの病院に勤務する個々の医師、医療従事者のネットワークの形式でしか存在できない。

ソウルの最も貧しい地域・・・そこはまるで昭和40年ごろ僕が下宿から修道中学・高校に通った広島市皆実町中通り商店街を再現したかのようなたたずまいで、思わず強い懐かしさに襲われたのだが・・・に存在するグリーン病院もそのままでは民医連の出発点にはなれない。

その病院は、労災補償を基金として建設され、その後脳神経外科と消化器外科を強化して病床数は300床を超え、競争力をなんとか維持してきたが、病院存続を目的とすれば、混合診療を強化するしか今後の道はないのである。

韓国の医療を変えようとする人々の拠点であり続けることも容易ではないだろう。

したがって、このままでは、韓国に民医連が誕生する可能性は極めて薄いと思われる。

理想を抱く個人たちの、熱いが非力なネットワークの時代が当分続くだろう。

しかし、考えてみれば、日本の民医連にしても、国民皆保険制度のおかげで生まれたのではない。民医連は国民皆保険制度のない時代にスタートし、国民皆保険制度を生む一つの要因になりながら、皆保険制度の充実を促進しながら発展してきた。

朝鮮戦争直後の極度の貧困から急速に発展してきた韓国も、社会格差の拡大は日本以上に著しくなってきた。民医連を求める土壌は日本以上に厚い。

そのとき拠点になるのは大病院ではないだろう。大病院が虚しい競争に明け暮れている今こそ本当の意味のチャンスではないだろうか。

小さな種が全土に多数播かれることがありえるのかどうか、というところに答えがある気がする。

そのときこそ、今のネットワークが、日本の民医連を超える威力を発揮し始める。

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