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2013年10月20日 (日)

毎日新聞2013年10月20日3面 中西 寛「時代の風 選挙経ない専門家の力」 と 樋口陽一・奥平康弘・小森陽一「安倍改憲の野望」かもがわ出版2013

2泊3日で議論ばかりしていた出張から帰ると日曜日の病院日直が待っていた。それなりに忙しい。

昼ご飯を食べるときに新聞を読んでいたら、上の記事に気付いた。中西 寛は政府の諮問委員会のメンバーになることの多い人だから、僕の中では右に位置する人である。

彼はおおよそ次のように書いている。「自由な選挙による公職者の選抜は、政治に正統性を与える基本的な手段だ。しかし、選挙で選出されたことは、統治能力の保持の保証にはならない。民主制の持っているその混乱・限界を抜け出すには、選挙という民主的手続きの限界を自覚し、その手段から独立した専門的権威の役割に正当な位置を与えるべきだ」

一般的には官僚支配に理由を与えるための主張と受け取られそうな言明だが、この考えも一部取り入れる必要がやはりある、と今日は思った。

というのは、2013年10月19日に「宇部9条の会」主催の小森陽一講演会の会場で樋口陽一・奥平康弘・小森陽一鼎談「安倍改憲の野望」かもがわ出版2013を買って読んだばかりだからである。

優先的に早く読んだのは、小森さんにサインをしてもらったからというのではなく、僕にとって予想外の話がなされていたからなのだが、、実はその話が、上の中西発言に通じるのである。

問題は、2013年3月4日の衆議院で安倍晋三首相が「憲法改正規定である憲法96条の改正」を政治目標と表明した件である。

これ自体は、世論から一斉に批判されて力を失い、2013年7月21日の参議院選挙で明文改憲派が2/3の議席を得られなかったことから挫折し、今は集団的自衛権への解釈改憲のほうに重点が移っている。そのため、96条改憲がなんだったかは僕たちの記憶からも急速に薄れつつあるが、実はこれが結構厄介な理論的問題を含んでいたし、集団的自衛権解釈改憲のための内閣法制局長官人事と関連して、官僚の力をどう生かすかという問題にもつながっていくのである。

樋口さんは、まず96条改憲提案の意図がわからないとする。情勢は安部にとってはむしろ9条改憲に突っ走る好機だったのにもかかわらず、なぜ反発を呼ぶだけの96条にこだわったのか。

奥平さんは、安倍晋三にそんな深い考えはなく日本維新の会の「船中八策」のなかにそれがあったのに乗っかっただけだろうとする。

背景はともあれ、96条改憲が提示したのは相当大きな理論的問題だった。

問題は次のようなものだった。

≪憲法には改正の限界がある。改正可能な部分と改正できない部分がある。96条は改正できない部分の代表格である。

しかし「選挙で選ばれた権力は、その行為の正当性を絶対的に保証された、歯止めもない『絶対民主主義』的存在、『憲法制定権力』なのか?≫」

現世の憲法に死刑判決を出す、あるいは現世の憲法を自殺させることは「絶対民主主義」「憲法制定権力」の立場で初めて可能になる。

「絶対民主主義」があると認める立場は、過去の一切を否定することができる。それを実行した例は、カール・シュミットの理論に導かれたナチスのワイマール憲法停止である。(*いわば悪玉の絶対民主主義、憲法制定権力?)

実は1946年、大日本帝国憲法が改定され日本国憲法に変わったのもその特殊な一例とされる。(*善玉の絶対民主主義、憲法改定権力?)

安倍晋三のめざす「戦後レジームの解体」はナチス型をめざしたものである。

「憲法に改正の限界がある、変えていけない部分がある、それが改正規定である憲法96条だ」という立場は「絶対民主主義」に反対する立場から出てくることである。

この立場が「立憲主義」constitutionalismだ。わかりやすく言えば、たとえ、選挙で勝利した近代国家の権力といっても、全面的な支配者にならないよう、さまざまルールを作って縛っておく必要があるというものである。

「立憲主義」と「絶対民主主義」=「憲法改定権力」とは原理的に折り合えないものなのである。

日本国憲法は立憲主義に立っている。その表れが憲法96条にほかならない。その時々の権力の思惑で簡単に憲法を変えられないよう、高いハードルが設けられているのである。

しかし立憲主義は、憲法学者の怠惰により、戦後正しく教えてこられなった。その弱点に憲法96条改正は付け込もうとしてきたのである。

これを解説すると、安倍もまともな憲法学論争の一端に属するように思われるので嫌だったと樋口さんは言っている。

戦前は、主権は天皇にあったので、天皇の権力を制限する役割が議会に与えられ、議会はそれを「立憲主義」ということばで自覚していた。

戦後、主権が国民に移ると、実のところ、その国民に選ばれた議員、その議員から選ばれた首相が一番偉いとなり、議会からは「立憲主義」という言葉は姿を消した。その点では、戦前の帝国議会のほうがむしろまともだった時期があるのかもしれない。

選挙で選ばれた首長はすべての権力を行使できるという考えかたは、橋下 徹に典型的である。

ここで、欧米の状況をみると、フランスは立憲主義に遠い。ルソーの社会系契約説からみると、前の世代から次の世代が拘束されることはありえない、毎日でも国民投票をして日々憲法を再点検すべきだという立場になっている。

したがって、「憲法改定権力」論も、世界の憲法論議の中では、けっして異端ではなく有力な一方だとは言える。

そして、その立場が、現在の民意と議席のかい離に反発を感じている国民の感情をくすぐって「間接民主主義の議会が、直接民主主義の国民投票を邪魔しているのが、96条だ」とたきつけたのが今回のことだったのである。

したがってことは複雑となった。

反原発を求めるデモなど直接民主主義の意義は日に日に大きくなっているが、それが結局は国民主権を否定しようともくろんでいる議会の間接民主主義権力に利用されようとした。

しかし、結果として、実際の民意は「立憲主義」を選んだ。現在の主権者による選挙で成立した政治権力を絶対化しない、過去の主権者、未来の主権者をも視野に入れて、「立憲主義」という立場で、現在の権力者を縛っておくことのほうが理性的だとしたのである。

選挙の勝利者の絶対化が、ここに敗北したわけである。僕たちは「立憲主義」というこれまであまり意識してこなかった憲法の原則への新しい認識を得て勝利した。

中西 寛京大教授の発言も実はここに通じる。立憲主義は、議会だけで守られるのではない。官僚制の中にも立憲主義の保障があるということである。

そのよい例は、安倍晋三による内閣法制局長官の更迭、新長官の任命である。憲法の立場から集団的自衛権を否定する歴代内閣法制局の立場が気に入らないので時の権力が官僚制を破壊したよい例だが、これも世論の厳しい批判にあっている。

「国家公務員が任命権者に命令されたとき選択の余地はない」という小松新長官には、公務員が全く無権利な存在と映っている。たとえば無理な転勤命令にも抵抗できないというようなものである。これではマックス・ウェーバーの説く近代官僚制の意味が全く分からず高級官僚になっている恐ろしさがある、と樋口さんは語っている。(130ページ)

樋口・奥平・小森鼎談にはもうひとつ面白いところがある。

2013年4月28日の「主権回復記念行事」に安倍晋三が天皇の出席を求め、それを宮内庁長官が拒否できなかったことは、官僚制の独自性の破壊だった。(74ページ)この事態はまともな右翼がいれば黙って見ていることはなかっただろう。

樋口さんは、現在の天皇が国会議員や閣僚たちがあえて発言することを恐れているまともな政治的メッセージを、工夫したひそかな形で発信していることを評価している。

「祖先は朝鮮半島から来た」「日の丸や君が代は強制すべきでない」だとかはその一例である。皇后も含め日本のエスタブリッシュメントの中では一番しゃんとした存在、日本のヴァイツゼッカ-だともいう。(148ページ)

、しかしそうなること自体が日本の政治の情けないことの象徴だ、と彼は結んでいる。

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