菅谷 昭「原発事故と甲状腺がん」幻冬舎ルネッサンス新書2013
恥ずかしいことだが、僕が2011.3.11の大津波による被害と福島原発事故被害の違いを明確に意識したのは、2013.8.17に立ち入り制限地域になっている福島県楢葉町の宝鏡寺を訪れて、住職の早川篤夫さんからお話を聴いたときである。
早川さんは、復興・復旧という言葉が福島に使われるのは腹立たしい、この地域はもはや消失してしまい、復元されることはないのだ、原発事故というものはそういうものだったのだといったのである。
それから、僕は上記の本を読んだ。
著者は、48歳で事故後5年目のチェルノブイリを訪れ、53歳で勤務先の大学病院を辞めてベラルーシのミンスクにある国立甲状腺がんセンターに5年半赴任し、その後2004年から松本市長を務めている甲状腺外科医である。
その内容は極めて説得的で、同氏の講演を聴く機会のない多くの人に読まれるべきと思える。
僕にとって、主張の中心は、、この原発事故対策のコンセプトは「復興」・除染でなく、なるべく広い範囲の避難と、徹底した被曝者の健康支援に尽きるということだと思えた。
そのためにこそ十分な予算措置をするべきなのである。
現在の政策はまったく逆を向いている。
打開できない現実のために、次善の策がいくつか提案されている。
①40歳以上の住民のみが汚染地に住んで、本当に被曝がなくなってみんなが帰還できる遠い将来に備える、
②短い期間でも定期的に子どもを汚染地から外に出す。
特に②は緊喫の課題である。
しかし、いずれも著者が心から望むことではない。
その他、メモすべきいくつかのこと。
*福島の小児甲状腺癌は、この本でも紹介された2013年2月の発表では疑い含めて10人とされた。
その後報告されるたびに増えて行き、2013年6月は28人、2013年8月は44人となった。19万3千人を検査して44人だから1万人あたり2.28人、これは100万人に1人か2人かという国際水準の200倍以上である。
これを精密検査を開始したことによる事故前発症者の発見だと断言することの誤りを著者は何度も指摘している。
*主としてセシウム137汚染食物摂取によりくり返される内部被曝と、その危険に常時さらされているストレスが免疫力低下を介して莫大な健康被害を生みだす予想が繰り返し述べられている。これも納得できることである。
*IAEAやWHOに支配されない国連人権理事会の役割の大きさは、最近のアナンド・グローバー弁護士報告でもよく理解されるが、2001年6月ウクライナのキエフで開催された「チェルノブイリの惨事の医学的結末」に関する国際会議でも同様のことが劇的に表現されたことが184-185ページに書かれている。
IAEAは「死者31、高度の被曝者数百人、甲状腺癌2000人の子ども、これが被害のすべてで、チェルノブイリ事故は終息した」としたのに対し、国連人道問題調整事務所(OCHA)・・・人権理事会の機関ではないようだが・・・の代表が「犠牲者900万人と見積もられ、悲劇は始まったばかりだ」と真っ向から対立する意見を述べたのである。
小さな本なので、いつでも携行できるからあまりこまごましたメモは不要である。
ともかく、なるべく多くの若い医療従事者に読まれることが期待される。
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