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2013年8月18日 (日)

福島県富岡町立ち入り禁止区域まで行ってみた・・・やはり出かけて見なければわからない

8月17日、全日本民医連の企画で、富岡町、楢葉町、広野町に日帰りで行ってきた。

http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/130807.pdf

にある2013年8月7日現在の避難指示区域の概念図を見てもらうのがいいが、それぞれ、帰還困難=立ち入り禁止区域と居住制限区域と避難指示解除準備区域の混在(富岡町)、避難指示解除準備区域(楢葉町)、緊急時避難指示準備区域解除(2011・9・30)である。

富岡町の一部と、楢葉町は日中の立ち入りが自由となっているが、住んでいる人はもちろんいない。広野町には居住者がいるが事故前の2割程度である。

常磐線の特急も停まっていた富岡駅周辺の、震災直後から時間が止まっているような荒廃ぶりには声も出なかった。

僕たちは富岡町の名所である桜並木の立ち入り禁止区域の前まで行って引き返してきた。ここが立ち入り禁止区域の南限で、北限は飯館村にある。

桜並木は「夜ノ森桜並木」

http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:夜の森夜桜並木2.jpg

といい、東北でも有名な観光地であるが、その大半は立ち入り禁止区域となっている。並木道周囲はリゾート地のような美しい家が並んでいてジブリのアニメにでも出てきそうなところだが、全て無人で家の内部は朽ちつつある。実家がそのなかの立ち入り可能側にある同行者がいて入って来たが、泣きながら帰ってきた。

案内をしてくれたのは浜通り医療生協理事長の伊藤達也さんだった。伊藤さんは元学校教員で日本共産党の福島県会議員もしていた人で、この地域の原発被害補償市民運動の中心人物である。

伊藤さんの案内で僕たちと同じコースを見学した記録は
「メディアの風」というブログの「日々のコラム」

http://www.k2.dion.ne.jp/~m-kaze/columnF/column13.html

の第11、2013.4.6の記事に詳しいので、それと重複することは省略する。

ただ、富岡駅の前で伊藤さんが非公式に語ったことはあえて記録しておこう。
「かわち野医療生協のおばさんたちも視察に来られました。大阪弁でしゃべること、しゃべること。仮設住宅での交流もすごく賑やかでした。
でも2回ほど全く声が出なくなる応答があったのです。
最初は 駅前のお寿司屋さんだった男性に、『また元気だして、店出して下さい』とおばさんたちが声をかけたら『客も家族もいなくなって借金だけが残っているのにどうしたら店が出せるのだろう』と、格別怒るわけでもなく訥々と男性が呟いた時。
次は、『仮設の住み心地はどうですか』と聞いて、『地獄ですよ』と同年輩の女性が応えた時でしたね」

特に記憶に残ったのは楢葉町の浄土宗宝鏡寺を訪問し、住職の早川篤夫さん(74歳)の話を聞いたことである。
早川さんは

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-07-14/2012071401_02_1.html

の新聞記事などにも登場してくる。写真の左端にいるやせた人が早川さんだ。

元教員で、伊藤さんと協力しながら、同じく元教員の奥さんと一緒に障害者施設も運営されている人である。事故直後には、伊藤さんが運営している障害者施設に12人の障害者と一緒に長く避難していた。

早川さんは確かこう言った。
「福島原発事故に関して語られる言葉のなかで最も怒りを感じるのは『復興』という言葉である。
福島原発事故地域に復興などないのではないか。

原発30km以内の地域は事実上消滅した、と考えている。
除染の困難さ(墓地の墓石だけは歯ブラシで一つ一つ除染したが、放射能は山から絶えず流れてくる)
そして何より4号機の不安定さ、再事故の可能性の大きさ(原発は阿武隈山地岩盤の上にあるのでなく砂地の上にあるのだ)
また廃炉の技術的な難しさ、
それらが全て解決しても、核燃料廃棄物の保管が永久に避けられないことを考えれば、
そうとしか考えられない。

それを前提に住民に補償をしなければならない。原発労働者の安全や待遇改善の確保も絶対条件だ。

こういう事態を直視すれば、原発の再稼働や輸出を考えることが信じられない。」

たった一日の訪問だったが、行ってみなければわからないことが多い。福島原発事故のかかえる問題は多方面にわたり巨大である。
当面するものだけでも、原発再事故防止、廃炉、核燃料廃棄物の保管、避難者の生涯にわたる生活補償と被曝者の健康管理がある。

被災当事者の要求、市民運動、政治、行政の4者がどういう力関係で切り結んで行くかでそのあり方が変わっていく。民医連がその関係のなかでどう動くかは大きい。

その自覚が生まれたことが僕個人の成果である。

もう一つ、行ってみなければ分からないことをもう一つ確信したのは地理的な理解である。

地名になじみが薄くて読みかけながら進まなかった布施祐仁「ルポ イチエフ 福島第一原発 レベル7の現場」岩波書店2012が、常磐線の特急に乗ってみてようやくすっと読みやすくなり始めたのである。

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