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2013年8月23日 (金)

「民主的集団医療」から「民医連ならではのチーム医療」へ

これについては、今日の会議の中で発言すべき立場でもないので沈黙を守っていたのだが、すこし考えるところがあったので、ここに書いておくことにした。

上記の二つの用語の間には格別大きな断絶があるわけではない。ただ、チーム医療という用語を厚生労働省が使い始めたので、論争的にも民医連としても対応が必要になっただけである。

では、上記の両者に共通する本質的な事柄とはなんだろうか。

①患者の自律と参加がチームの出発点であるということ。

かって東大リハビリテーションの上田 敏先生が主張した、多職種の力で患者を360度理解するという「CTモデル」という患者理解法は、その時には画期的だったが、そこに決定的に欠けていたのは、患者には当事者主権があるということだった。

チームの中央に客体としての患者をおいた円では、僕たちのチーム医療はもはや表現できない。

②患者自身や患者家族を含んだチームの構成員は平等であること。

①とは逆のようだが、そこでは医療従事者の抱える困難も、患者の抱える問題と同等にチームの共有すべき問題となる。

患者の問題だけを論じて、医師や看護師の疲弊を見過ごすチーム医療は民医連ではありえない。

③チームとして意思決定することが厳しく求められていること。

ターミナルケアに典型的だが、より良い意思決定は常にチーム医療の課題となっている。

そして、それは医師に最終的に委ねられているのでなく、

熟議的民主主義 deliberative democracy

によらなければならない。

その方法論として、ロールズ「正義論」に源を持つ白浜雅司の臨床倫理4分割法などがある。

*ロールズ「正義論」は、現代の医療従事者には縁遠いように思えるかもしれないが、みんなで話し合って、正義を見つけて行くという方法こそ、ロールズが編み出したものなのである。

④ここは、少し理解されにくいかもしれないが、

チーム医療は職種と職場の平面的マトリックスをこえてより多層的になり、医療労働者の能力の多面的な発展を必要ともするし、保障もすること。

一看護師として二階病棟に配属され、医師も看護師も看護助手も栄養士も交えた二階病棟の運営会議に出席して、二階病棟の医療の改善について発言する。
これは職種と職場が交差する二次元マトリックスの中での活動である。
これだけでも、人は組織人として成長するだろう。

だが、同時に病院の医療安全委員会のメンバーとして、病院全体の医療安全に貢献し、同僚を指導することも求められる。

さらに、医療生協の班会で地域住民と子どもの貧困について語りあうこともある。

これらがマトリックスを超えた立体的=多層的な活動である。

民医連のチーム医療はここまでのことを一看護師に要求するし、チーム医療は看護師の人間的能力をそこまで多様に発展させるだろう。

⑤そのような活動の中で、困難を我が身にも抱え持つものとして、十分支援を保障されること。

まかり間違っても、同僚のいじめや上司からのパワハラ・セクハラの対象とならないこと。

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