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2013年8月10日 (土)

民医連に参加する医学生の<先見性・先進性・積極性>

山口民医連医師団会議に病院日直をしながらの不規則な出席を果たしながら思ったこと。

民医連に参加する医学生の<先見性・先進性・積極性>は次のような段階を(もちろん重層し、前後に遊動しながらであるが)経ている。

*ここではあくまで民医連に参加する以前の医学生について述べているので、民医連自体の先見性・先進性・積極性を述べているのではないことを理解して頂きたい。
*また、全ての時代に「無差別・平等の医療」への共感があったことは大前提である。。


1945-1976年ごろまで:政治的先進性・・・ただし今から考えると、その先進性に確固たる根拠があったかどうかは疑問。僕が研修医をしていた健和総合病院(北九州市)の真角欣一院長は、いつもぼくに九州山中の「山村工作隊」の話をしてくれた。それが彼の学生時代の体験の芯のようだった。その人柄の誠実さは疑いようもなかったが、非情だとしてもその政治的経験はどれほども価値がないものだったろう。

*1976年とした根拠は、僕が民医連に入った年だということである。あまり信用しないように。

1977年頃―2000年頃まで:医療技術獲得上の積極性・・・これは1970年代後半からの全国的な病院医療技術の爆発的な普及のなかで、大学附属病院がそれに出遅れたことによって、技術を短期間にかつ主体的に(権威や先輩に妨害されずに)身に着けることができるという相対的な優位性を民医連が獲得したことによる
しかし、当然ながらその優位性はまもなく逆転する。大学病院や関連病院はすぐに民医連に追いつき追い越す。
そうなると逆に「同僚間の競争がない」「ゆったりと学べる」という点に民医連の魅力を見つける医学生も現れた。

*2000年に格別な根拠はない。しいて言えば「患者中心の医療PCM」や「健康の社会的決定要因SDH」がこのころから日本に知られ始めたからである。

2000年以降:医療のあり方のパラダイム・シフトへの哲学的先見性・・・・医師のパターナリズムが当然の医療から「患者中心の医療」へ、医療技術への過度な傾斜から公衆衛生「SDHに基づいたヘルス・プロモーション」の正当な重視へ、という医療の「パラダイム・シフト」を民医連の中に典型的に認めることができる。
問題は、ここでは大学医学部が1976-2000のように出遅れて、やがて追いつこうとしているのでなく、持続的な反動的妨害者となっていることである。

民医連に加わろうとする医学生の<先見性・先進性・積極性>の問題はこの段階に来て、本当に意味のある問題となった。医学生対策は、この段階で真の意味で「時代との格闘」となったのである。

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