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2013年8月 1日 (木)

藤井直敬「ソーシャルブレインズ入門 <社会脳>って何だろう」講談社現代新書2010・・・竹内章郎「能力の共同性」の根拠がここにある?・・・

最近あちこちで「社会脳」という言葉を見ることが多く、もしかするとこれが人間の理解に欠かせないのではないという気がしてきた。そこでちょっと古いが上記の本を読んでみた。著者は東北大学眼科出身の今年48歳の研究者。広島生まれということである。

これまでの脳研究は、単独の脳が繰り返し果たす同じ機能を観察しながら解剖学的構造と機能の関連を見つけようとしてきた。

しかし、人間は単独で存在することはなく必ず社会を形成して生きていくから、脳も社会の中に組み込まれて初めて機能する。

そのように社会との関係に注目した時は、脳は単独のもとして観察されたときとはどのように違って見えるのだろうか。

それは、脳の構造と社会の構造の驚くべき相似性である。

(この部分は養老孟司氏の「唯脳論」に似ているという評もあったのだが、僕自身はそれについて読んだことがない。養老孟司という人にまったく興味を感じることがなかったからである。)

大脳皮質の単位となっており垂直方向に6層構造を持つ円柱である「カラム」を一人の人間と考えるとよい。

大脳皮質を構成するカラムは多種多様にみえるのだが、基本的には6層構造が維持されており、それは、地球上に存在するヒトが黒人や白人など外見的にどう違うように見えても単一のヒトという生物種であることに類似する。

隣り合うカラムの類似性に注目していくと、カラムは群れをなしているようであり、大脳皮質は群れの種類によって52の領域に分けることができる(ブロードマンの脳地図)。これはあたかも52種類の民族が地球表面の分布しているかの様に見える。

しかし、その領域は必ずしもそれぞれが一つの純粋な機能を担う「モジュール」として固定的には捉えきれず、モジュールの概念を超えた活発なネットワークが存在すると考えないと脳の機能を理解できない。

それは一言語に統一された国民国家ごとに切り分けられた地球がもはや考えられず、各民族が国境を超えて流動するグローバル世界を連想させる。

その脳の中にあるネットワークを観察すると、大脳の奥深くにある大脳基底核が「ハブ」として大脳の各ネットワークの間を媒介しているのも分かってくる。それはあたかも地球上のハブ大都市やハブ大空港のようである

こうした類似は、格別意義深いものでなく、複雑な構造がすべて共通して持つ性質だという解釈も可能だが、人間の身体を結節点として、社会というネットワークと脳という類似のネットワークがつながっていることの理由を考えてみることの面白さは否定できない。

脳が社会の中に置かれ、社会と関係を結ぶことでしか機能しないとすれば、「自分」や「自分の能力」というものがあるのかどうか分からなくなってくる。

ここに岐阜大の竹内章郎が強調してやまない「能力の共同性」の根拠の一つがあるのかもしれない。人間の平等についての原理がそこから示される可能性が広がる。

一方、社会の中の脳という研究は「ミルグラム実験」(アイヒマン実験)、「スタンフォード監獄実験」などで、人間がきわめて脆弱な倫理観しか持てず、権威にしたがってどんな残虐なことも行うことのできる保守性の傾向の強い生物だと証明してしまう。

3 

人間が社会との関係に絶対的に拘束されて、かつきわめて不安定な存在として影響を受け続けるとすれば、人間はどうして幸福になることができるのだろう。

それは「無条件の存在肯定」を得る以外にはない。

それは、このブログの7.11の記事でも書いた

「誰でも自分にあてはめて考えるとわかるけど、『無批判の愛』ほど力を与えてくれるものはない。ぼくの好きなアメリカの作家カート・ボネガットが、『無批判の愛こそは若者が探し求めるべき真実の宝だ』(『母なる夜』)と言っている。(池澤夏樹)

ということと同じである。

それを得ることはそれを与える以外には可能性が開かれない。

3の部分が1や2とどうつながるのか不明だが、これが「社会脳」の存在を認めることから得る結論であり出発点である。なんという弱弱しい出発点だと思うが、それしかないことを確認するのもよいことだ。

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