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2013年8月15日 (木)

イチロー・カワチ「命の格差は止められるか ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業」小学館10①新書2013

昨年、大阪大学吹田キャンパスでイチロー・カワチの講義を聞いた。

(公衆衛生セミナー@大阪大学、僕のブログの記事はhttp://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2012/07/post-4ac8.html

その時の新しい話題は、行動経済学と、それを裏付ける思考システムの2つのタイプの違いの発見ということだった。その話を聞いた後では、思考システム1とシステム2についてはいろんな本で触れられていることに自然と気づくようになった。

そのことについては、後の方で書くことにして、この新しい小さい本は、その時の講義にだいたい一致して分かりやすい。

これまで社会疫学の入門書はあまり文章のこなれていないものが二、三点ほど出版されてきたが、入門書の決定版が出てきたという気がする。

ただ、一読した段階での浅い感想だが、ソーシャル・キャピタルの重要性が強調されすぎのようでもある。

この本のみでは、現在のWHOの健康戦略である「健康の社会的決定要因にもとづくヘルス・プロモーション」、そしてそれがめざす平等な「人間の健康・QOL・人生の可能性の幅(ケイパビリティ)」、すなわち基本的人権としての「健康権」についてまでは理解の翼が羽ばたかないのではないか。

概して、健康を構成するものとして、アマルティア・センやマイケル・マーモットら社会疫学のヨーロッパ・イギリス派の人々は「人間の自律や社会参加の平等」に重きを置き、イチロー・カワチら社会疫学アメリカ派の人は「社会の結びつき」を重視する傾向があるように思える。

それは、研究者である彼らの置かれた社会的背景を反映したもので、公衆衛生研究の臨床的利用者である僕たちとしては、両派をどう総合するかということに今後の課題があるように思う。

それはそれとして、いつものようにこの本で新しく知ったことを順不同に記録しておこう。

〇著者はニュージーランドのオタゴ大学医学部を卒業して内科医になったが、生活習慣病の患者の治療において行動の変容がどうしても引き出せないことに疑問を持って、1992年医師を辞め、ハーバードの公衆衛生大学院に研究者として着任した。「社会と健康」のテーマを研究して2008年に教授になる。

現在年間400人以上の大学院生が彼のコースを履修する。

〇ジョン・マッキンリーの「問題を上流upstremwで解決する」を座右の銘にしている。健康を上流から考えるのが「社会疫学」である。さらに公衆衛生は上流から下流まで「健康という川」の全体を管理する。

〇資本主義的生産における「分業」は、古くはアダム・スミスが国富論1776で提唱している p100。

フォード自動車のテイラーが考えた流れ作業(テイラーシステム1911)はその発達した形態p101。

分業から生まれてくる労働の強化と働きがいの喪失、それによる過度のストレスから生じる健康障害を改善したのが、ボルボ自動車(スウェーデン)の「チームで組み立てる方式」生産である。p112。

企業が健康に寄与できる典型例の一つ。

〇人のつながりと健康の関係を最初に提唱したのはエミール・デュルケーム(1858-1917フランス)。どういう社会的条件の人が自殺しやすいかを研究した「自殺論」が有名。社会疫学の父といってよい。p130

〇ソーシャルキャピタルという言葉を普及したのは、ロバート・パットナム「哲学する民主主義」1994。

1970年代のイタリア社会に注目した。健康度の高い中部のエミリア=ロマーニャ州と、健康度の低い南部のシチリアとの比較。不通に信じられるような経済発展の南北差ではなく、社会の結びつきの量や質によるとした。

〇ソーシャルキャピタルのような「目に見えないけれど社会に存在しているもの」を測って見せるのが自分たち社会疫学者の腕の見せ所である。

〇個人と個人の結びつきで行われるのがソーシャルサポート、社会全体で作り出すのがソーシャルキャピタルとされているが、残念なことに、いずれにしても人工的に作って、良い結果が出るものでないことが分かってきたp150

〇しかし、ソーシャルサポートやソーシャルキャピタルの成り立ちを研究し、それを利用することで、健康の改善を図ることは必ずできるだろう。それが公衆衛生の社会に渡す「処方箋」である。p154

〇アメリカで高血圧・脳卒中・心臓病対策が始まったのは、大統領フランクリン・ルーズベルトが現職のまま脳卒中で亡くなった1945年以降である。そこから脳卒中対策が盛んになった。

その研究の場になったのが、ボストンの近くにあるフラミンガムという人口2万8千人の町。フラミンガム研究で、高血圧と脳卒中の関係が明らかになった。

*日本では佐藤栄作元首相が料亭で脳卒中となって、当時の常識に従ってその場から動かすことをせず、料亭で4日間安静を続けたことが有名な1975年頃がそれにあたるかもしれない。

〇しかし、その後、高血圧の人を見つけて治療する人を増やすことが、脳卒中を減らす最も大きな仕事だというとんでもない誤解が広がっていった。p176

そしてWHOなどが、(*おそらく製薬メーカー・食品メーカーの利益のため)それまでの高血圧とされる範囲より低い値、収縮期血圧が130~139 mmHg、または拡張期血圧が85~89 mmHgの範囲にある場合を、「正常高値血圧」=「準高血圧」として、指導を強め、場合によっては服薬させる・健康食品を買わせるという方向に走ったのは、真の高血圧対策などと呼べるものではない。

基準値を引くめたり、健診項目を増やして、異常所見者を多く作り出し、それを指摘することは健康にはむしろ悪影響があることが分かっている。

必要なのは、社会全体のリスクを減らすことである。その時初めて、例えば脳卒中になる人が大きく減る。

*社会全体の健康リスクが何かを同定するのが社会疫学である。そして、その成果が、ソリッド・ファクツ8項目である。

〇人の行動を健康的な方向に変えようとする働きかけが失敗してきたのはなぜか?、また今後どうすればよいのか?

行動経済学を理解してこなかったことが失敗の理由の一つ、上手な利用が今後の一つの方策。

人間の認識は、感情優位のシステム1(*側頭葉の扁桃体が働いている)と、理性優位のシステム2(*前頭葉の基底部VMPCが働いている)の両者で行われている。

このことを理解しないとこれまでの働きかけがが上手くいかなかった理由が分からない。

例えばタバコメーカーのCMはシステム1に「たばこを吸うことはかっこいい」とダイレクトに訴えかけ、タバコの危険は箱の下の方に小さく書かれていて誰のシステム2にも訴えなかった。

また、ジャンクフードは、それがワクワクする楽しみだという宣伝でシステム1に直接働きかけるが、ジャンクフードが健康に悪いという解説がシステム2に届くのは、ジャンクフードを食べない高学歴者だけである。

またジャンクフードが緑色野菜をほんの数片付け合わせに使うだけで消費者は1-2割くらいその食品を低カロリーに見積もるというのもシステム1に基づく錯覚である。

そこで、アメリカ食品医薬局FDAは、タバコの箱の表面半分以上は喫煙の害の警告にしようとした。タバコの害をシステム1に訴えようとしたわけである。しかし、2013年7月10日現在これは裁判所から差し止められている。p208

国がシステム1、すなわち国民の感情に訴えるのは憲法違反だとしたのである。それはそれなりに意味が分かることではあるが、その背景にたばこ会社の金の力があることを疑わないものはいないだろう。

*これはTPPのISD条項に関してよく引きあいにだされる「世界的なタバコ会社、フィリップ・モリスは、2012年3月5日(月)、すべてのタバコのパッケージを簡易なものにするよう求めるオーストラリア政府の新しい法案に対し、訴えを起こした」を想いださせるものである。

しかし、成功例もある。アニメキャラクターの袋に入った野菜はおいしく感じら得てよく売れたという報告もある。良いことをシステム1に訴えることが成功することもある。p210

〇さて、一番大事なことは一番最後に書いてある。p216

「健康な社会」の仕組みづくりは三つある。

①消費者の行動変容だけでなく、製造・販売企業への働きかけ、規制を強める

②ソーシャルサポート、ソーシャルキャピタルを生み出す環境づくり

*=狭義の「まちづくり」

③ ①②のための連携運動。病院だけでなく、学校や企業や行政が手を取り合って ①②を進めるため運動する。

*これが広義の「まちづくり」=ヘルシーシティ運動だろう。

病院ではHPH(ヘルスプロモ-ティング・ホスピタル)、学校ではHPS(ヘルスプロモーティング・スクール)、企業ではHPC(ヘルスプロモーティング・カンパ二―)運動とされる。

*ヘルシー・シティは行政だけのものでは決してない。

〇おわりに

「大切なことは何か一つを究極に極めることなのではなく、大切とされることを、バランスよく行うことです」

何か一つでなく、いろんなことをバランスよく、というのは、民医連の総合医に通じる話。

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