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2013年7月25日 (木)

早すぎる情動失禁

どうも変だ。

未明に65歳の肝臓がんの患者のお見送りをして帰宅した後眠れなかった。

そのまま、外来に出た。

じん肺の経過途中の食道癌を僕が内視鏡で診断して、大学病院に紹介して手術はできたが、その後再発して治療法がなくなり、隣の県にいる息子さんに引き取られて僕の手元を離れたじん肺の患者さんのその後の話を、その人の同僚だった別のじん肺の患者さんから聴く。

いずれも僕より少し若い人だ。

隣の県の病院に入院していたが最近亡くなった、とのこと。

古い友人なのでなんとか生前に連絡を取りたかった。方法がないかと思ったが、もう意識を失っていたときに携帯電話がまだ通じる状態で留守番電話が残せた。

やがて息子さんから連絡が来て、入院している病院を教えてもらうことが出来た。

暑い盛りにF市の駅(それは山田洋次の映画「故郷」にも出てくる駅である)に降りて、病院を尋ね当てると、息子さん一人に付き添われてやせ細ったその人がいて、ついに再会できた。

それから、まもなく通夜の日が来るのだが、それにも行った、と元トンネル工夫だった無骨な人が訥々と語った。

「それはいいことをしました」というと

「先生にもよろしくと息子さんが言っとったよ」と伝えられた時点で僕の方に情動失禁が起きた。

もう38年目になる長い医師生活の中で、初めて診察室の患者さんの前で泣いた。

少し肥満してきているので、おなかが震えるのが自分で分かる。

いったい、どうしてしまったのだろうなぁ。患者の死は僕の日常そのものなのに。

早すぎる老化だ。

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