「そう考えとったん? おとったん!」 菅野昭正(かんのあきまさ)編「言葉の魔術師 井上ひさし」岩波書店2013年4月
世田谷文学館での7人による連続講演の記録。
どれも面白いが、小森陽一とロジャー・パルバースのものがとりわけ面白い。
例によって◯は僕の恣意的な引用。*は勝手な感想。
小森陽一講演
◯日本語の方言は徳川幕藩体制維持のため強化された。言葉が違えば他国者とわかりやすく警戒しやすいからである。
しかし、明治時代になると言葉の命令で動き、言葉で報告する兵士が大量に必要となったので、急ぎ標準語が作られた。
井上ひさしは言葉の専門家として、これらの過程に強い興味を抱いていた。
◯樋口一葉、夏目漱石、石川啄木、宮沢賢治など文学者の評伝劇という形式は、世界的にみてもユニークな井上ひさしの発明だ。
◯携帯可能なハガキ大謄写版は戦前の左翼地下運動でさかんに用いられたが、これは、井上ひさしの父、井上修吉の発明だった。
◯「父と暮らせば」は幽霊の物語でなく、残された娘の心の分裂から生まれた会話によってなる物語であり、被爆者である娘の自己再生の物語として読まなければならない。
*僕を含めて全ての広島人は、父を「おとったん」と呼ぶとする「父と暮らせば」の井上ひさし製広島方言に違和感を持ち続けているが、これは「何をしとったん?」という広島方言に音を合わせたもの、という解説が小森陽一から述べられる。
確かに、
「そう考えとったん? おとったん!」
などと発音してみると一種の気持ちよさはあるが、それでもやはり納得し難い。小森が「発見」と言っても、そうとは思えない。
◯井上ひさしと九条の会について触れているのはこの本のなかでは小森陽一だけである。
ロジャー・パルバース講演
◯雑誌「文藝」別冊でも、井上ひさしの「悪意」について触れた人がいたが、この人も井上ひさしの本質としてのブラックユーモアを指摘している。
◯オーストラリアに客員教授として井上を呼んだのはこの人だが、井上がアデレード芸術祭で講演したとき、そこに滞在していた日野啓三が「芥川賞作家の自分を差し置いて、なぜ直木賞作家が講演するのか」と質問した話もされている。日野もそうとう変わった悪意の人だったようだ。
◯1994年「父と暮らせば」を初上演した事によって、井上は広島を自分の問題として発見し、変わった。そして、地球の環境問題についても発言し始めた。これは彼の作家人生の大きな転機だったはずだ。
◯20世紀の劇作家で井上に似ているのはブレヒト。ただ、井上にはブレヒトほどの戦略性はなかった。
◯日本人の作家で、井上ひさしの大きさに比肩しうるのは大江健三郎くらい。そして、大江の言葉は人工的で情熱が伝わらないが、井上はもっと自然で読みやすい。
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