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2013年7月 9日 (火)

雑誌「治療」2013年4月増刊号『「しまった!」を役立てる』・・・質的研究と量的研究についての屁理屈つき

雑誌「治療」2013年4月増刊号『「しまった!」を役立てる』を、遅ればせながら本棚で見つけた。読み始めるととても面白い。

自分などは毎日が、いや医者になったこと自体が、「しまった!」の連続なので、この雑誌で救われることはないだろうが、いまどきの若い医師はこんな風に育っているのかと感心する。

巻頭に藤沼泰樹さんのインタビューがあり、僕もその中に入っている全日本民医連-診療所委員会の委員である膳所診療所佐々木隆史さん,青森の黒石診療所の坂戸慶一郎さんをはじめとして民医連医師がたくさん執筆している。

考えてみると、雑誌「民医連医療」に加えて(あるいは替って)創刊すべきだと僕が主張している雑誌「民医連『診療所』医療」のイメージは、この雑誌のようなものだった気がする。

その雑誌創刊のアイデアについては、まだ賛成者に一人も出会っていないのだが。

■藤沼インタビューの注目点

○どこかうまく行かなかった個別の臨床例を振り返るとき、明日の臨床例に向けての改善の手掛かりは先行する質的研究の中にある。それは看護研究に蓄積されていることが多い。

たとえば、胃瘻造設を受け入れた家族の心の動きを追ったインタビューなどが文献としてあり、学ぶところが多い。明日、胃瘻について家族説明する内容がそれで格段に深まるだろう

ただ、先行する質的研究の文献だけに頼って、小奇麗に症例をまとめてしまっていると進歩がない。

*それは、日々の臨床的振り返りの積み重ねが集まって大きな質的研究を形成しつつあるのだ、それに自分も参加していくのだという心構えや自覚が必要だということだろう。

**ところで、質的研究とは何だろうか?特殊である個別例の記述的研究であり、それを通じて普遍的な結論を得るための量的研究の出発点となる仮説を作るもの、という位にしか理解されていないだろう。

しかし、これは柄谷行人が「探求Ⅱ」で言っていたことなのだが、「特殊と普遍」というものは本当は存在せず、結局は「単独の存在」に行きつくしかないとすれば、どんな研究も最終的には単独の存在について記述したという「質的研究」であるほかはない。

「単独の存在」という話は少し分かりにくいかもしれないので説明しておこう。たとえば、僕の医師としての悩みは、日本の医師という「普遍」の「特殊」である僕の悩みだというのは間違いがない。しかし、「日本の医師」は果たして「普遍」かというと、日本という「特殊」に属したもので、普遍は「世界の医師」である。しかし「世界の医師」が果たして「普遍」かというと実は「地球」という特殊に属するものであり・・・最終的には普遍は「宇宙」しか残らない。だがこの「宇宙」も「普遍」ではなく、生成と消滅の歴史を持つ「単独の存在」に過ぎないだろう。

だとすれば、何も「宇宙」にまで話が行きつかなくても、僕自身がすでに「単独の存在」だ、ということができるだろう。

そのように視点を変えれば、どんな量的・普遍的な研究にしても、僕や君や「宇宙」という「単独の存在」を理解する「質的研究」の一部に過ぎないということに価値が逆転するのである。

すなわち、質的研究と量的研究のどちらかが優れている、価値があるということは言えない。

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