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2013年6月25日 (火)

「-伝導ベルトとしての中間団体」という考え方をどう改めるか・・・「世界観・人生観を含め、社会の広い合意形成を作り出す共同討議・熟議の場を作り出す」役割

今朝のしんぶん「赤旗」のなかに挟み込んであった地元の共産党活動便りの中に、民医連の病院の職員でつくる共産党支部の活動の報告もあった。

そのなかで、ふと今の自分の問題意識に響きあうものがあったので、少し考えてみた。

「民医連の病院は国民の生活を守るために日夜奮闘を続けていますが、それだけで共産党の姿が市民に伝わるものではありません。(共産党の支持を拡大するためには共産党支部の独自の活動が必要です)」

(  )は僕が付け加えてみたものだが、この文章自体は間違いではない。民医連の活動と共産党の活動はまったく別のものだ、という当然のことを言っているにすぎない。

だが、わざわざ、こういうことを書こうとする意識はなんだろうか。

それはやはり、共産党のために民医連があるという、あるいは直接民主主義の上に代議制民主主義があるという、組織間の上下関係を前提とした潜在意識があるのではないだろうか。スターリン時代に常識だった「-伝導ベルトとしての中間団体」モデルである。

2000年の共産党規約改定で建前上はそれを脱しているのに現場では旧態依然なのでないか。

共産党が発展することも、民医連が発展することも、当面は日本の社会に日本国憲法が定着するという目標の「手段」であることで一致している。共産党はその先に人間が人間を支配することのない社会を作るという大きな目標を掲げているが、民医連は団体の性格上そこまで示すことは自己規制しているという違いはある。しかし、民医連の運動を突き詰めて考えれば、将来の目標を共産党と同じように考えるのも当然のことである。

そういう関係だから、それぞれのいずれかが優先されて「目的化」され、どちらかが「手段化」されるということはありえない。

共産党の発展という目的のために民医連に入り込んでいるというような人がいれば、それはお互いにとって障害物だろう。

規約を変えるだけではやはりだめなのだ。運動のあり方自体が変わらなくてはならない。共産党も民医連もそれぞれ政治目標を持って上下関係なく生活の同じ平面で協力しあうという運動と組織のモデルが必要になってくる。

そのとき、共産党は生活のどの実領域を担当するのだろうか、ということが心配になる。

「議会活動を専門的に担う」は実践的にはありえるが、それは他の組織との間に上下関係を生みやすいのでその役割の固定化は避けたい。

結局、各領域の架け橋、連絡役くらいしか思い浮かばない。

ただ、民医連が社会保障領域という担当領域を持ちながら「諸運動の架け橋」の必要を発見したように、市民生活の実務を担当する各組織が自ら多方面に連携しはじめると独自の役割はなくなる。

それは、諸科学が発展して、それぞれの立場から世界像を提示し始め、それがおのずと連携し総合されていくと、それまで世界観のまとめ役をしていた「哲学」が不要となってきたのに似ている。

最終的には「世界観・人生観を含め、社会の広い合意形成を作り出す共同討議・熟議の場を作り出す」役割が生まれてくるのだろう。実はそれが最も重要なことなのだ。

その姿と、中間団体の上に立っているかのように思い描いている姿は大きくかけ離れる。

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