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2013年6月16日 (日)

沖縄で弁護士をしている三宅君のこととセブンティーンの僕

一昨夜は旧友のA君に案内されて新丸ビルの中にある中華料理店の混雑の中で久しぶりにいろいろ話し合った。62歳と61歳の会話だから、記憶に些少な間違いはあるかもしれないのだが。

1969年に広島・修道高校が三好春樹氏その他の一部生徒によって校舎封鎖され、機動隊が導入された時、僕もA君も封鎖自体には到底賛成できるものではないと思っていた。

しかし、学校側の対処法には怒りを感じていた。

その時逮捕された生徒の一人に共通の友人である三宅君がいて、A君はたまたま同じクラスだった。クラス担任で数学の教員だったK氏(故人)はホームルームで、三宅君の行動を非難した挙句、 その趣旨のクラス決議を挙げるよう提案して来た。

A君はそのとき、「当事者がそこにおらず、反論もできないなかで決議などできない」と主張して、結局K氏の目論見は通らなかった。

もちろん、そのことは学校が三宅君を退学処分にすることになんの影響もあたえなかったが、担任に逆らうのは勇気が要ったよ、とA君は話した。数学は苦手だったし。

僕の全く知らない話だった。

僕の知っていることは、三宅君は退学になったあと、弁護士となって、沖縄で反基地運動に関わりつづけている、辺野古支援では、立場が違っても、僕達と連携することもあるということである。最近も少しだけメールのやりとりをした。

それは知っている、とA君は言い、「それより、思い出すのは退学になったあとか、前だったか忘れたが、三宅君の家を訪問すると、お父さんと二人で歓待してくれて、似島の見える吉島の突端で、ブラスバンドで担当していた楽器を演奏してくれたことだよ」と続けた。

その話を聞いていると僕も17歳に戻ってしまった。

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